両親の気持ち | 脊髄腫瘍と暮らす生活

脊髄腫瘍と暮らす生活

2009年12月に頸髄髄内腫瘍の摘出手術を受けました。
手術前・入院・退院後の生活を書いています。

(手術後170日目)




いつも、夕食は両親と一緒にテレビを見ながら食べます。晩酌も少々得意げ



先日、お酢のCMで、プチトマトをお酢につけているのを見ました。


「トマトを酢漬けにしたら、どんなんなるんだろうね~」とか話していて、つい、




「うちの畑にはプチトマトは生えてないの?




と、発言してしまい、間髪いれず母に



「それを言うなら、『植えてないの?』でしょ!!ガーン」と突っ込まれました。



…失言でした。




昨日、両親と3人で夕食を食べ、父がお風呂を沸かしに席を立った時、


「ご飯も作ってもらえて、洗濯もしてもらえて、お風呂も沸かしてもらえて、幸せ~ラブラブ」と呑気に呟いたところ、母が言いました。



「マコの病気は悲しいことだったけど、こうして、うちに戻ってきて、一緒にご飯食べて、お酒飲んで、たくさん話ができるのは、嬉しい」



・・・。


・・・。


・・・。



なんだか、しんみり。



そう言えば、小さい頃は共働きで、こうして両親と一緒にご飯を食べることは、ほとんど無かったかもなぁ。


私が大人になってからは、私の帰宅時間もまちまちになったし、結婚して家を出て、すぐに離婚して戻って来ちゃったけど、再就職が決まってからすぐに一人暮らし始めて・・・。



母は、たまに「今まで何もしてあげられなかったから」と言います。


まぁ、確かに割とほったらかしな感じだったかなぁとは思いますが、別にネグレクトされてた訳じゃないし、いわゆる「一般家庭」の中に入ると思います。



でも、今の両親の私に対するサービスっぷりを見ていると、生活するのに精いっぱいで、子供にあまり構ってあげられなかった過去を取り戻そうとしているかのようです。


東京に住む妹にも、米やら野菜やらカラアゲなど、段ボールにいっぱい詰めて、宅配で送っている模様。




小学校中学年頃から、7歳離れた妹と2人で、作り置きの夕食を食べて、母の帰りを待っていました。


寂しかったかも。妹はどうかな。



でも、今は実家でお姫様扱い得意げ

寂しかった子供時代の不足分?が充足されてきているような気がする今日この頃。




・・・。


あれ?うちには兄もいるんですが、兄は当時どうしてたの?



・・・思い出せない( ̄_ ̄ i)




↓3年程前、妹と食事にでかけた時のものです。


脊髄腫瘍と暮らす生活-makokako

左が私です得意げ(画像はクリックしても大きくなりません目