お金とわたし | 是日々神経衰弱なり
都内の飲食チェーン店で働いているという息子が面白いことを話してくれました。

「飲食店ってさ、店長が変わるだけで売り上げがめっちゃ変わるねんで。それはもう面白いくらいに」

「へーそんな変わるん」

「変わる変わる。びっくりするで」


どうやら息子の勤務先では長くいた店長が退職して、別の人が店長として就いたらしく、しかもその新しい店長というのが、以前の店長と違ってまったく覇気もなく、何かと言えば言い訳ばかりで、お客さんのクレームにもきちんと向き合わない、そういう性格の上司のおかげで店の売り上げが激減して、このままではお客さんにも満足してもらえないし、成績も下がるし、自分としてはモヤモヤが募る、そうわたしに不満を言うのです。


別に自分の店でもないのに、いまどきの子にしては感心だ。と我が息子ながら。そう、お店というのは、どんなに店内を立派にしても、働く人の気持ちひとつで良くも悪くもすべてが決まってしまう。

「たったひとりの人間が変える」んですよね。




飲食店といえば、すぐに頭に思い浮かべる店があります。

息子がまだ中学生の頃、わたしにお金がなくて学校にもすぐには通わせられなかった。義務教育の給食費すら払ってあげられないくらいに苦しい生活苦のなか、白いご飯も満足に食べさせられない時期がありました。そんなギリギリの暮らしの中でも、僅かに収入があると、近所の中華料理店に行くのが恒例となっていました。

その中華料理店は、都内の繁華街から少しだけ外れた裏通りにあり、大連から来た中国人のおかみさんが、同じく中国出身のシェフと、ランチタイムだけ雇っているパートのおばさんの3人で切り盛りしていて、大繁盛していました。狭い店内にはテーブル席が5席。カウンターは4人くらい座れただろうか。一階の厨房は暑いのか、ドアが解放されていて、その中からはいつも景気よくジャッジャッとフライパンで食べ物を炒める音が聞こえて来て、辺りには終日いい香りが漂っていました。

味が良く、盛りがいいわりにお値段が600円と安いし、ご飯のおかわりも2杯まで無料だったので、ランチタイムには、近所のサラリーマンでごった返していました。特に愛想が良いというわけでもないんですが、おかみさんがテキパキしていて活気がある。なんといっても大好物の唐揚げ、回肉鍋やカニ玉をおかずにして、お腹いっぱい食べられるので、息子は楽しみにしていました。そして、ごくたまにお客さんが引いたタイミングで、おかみさんは、私たちのセットには付いていない漬け物やデザートを、黙ってテーブルの上に置いてくれたりしました。それを見て、わたしたちは、おかみさんの優しさをかみしめていました。


1年くらい通ったでしょうか。その後はその店から離れた場所に引っ越してしまい、とんと行かなくなっていました。ずいぶんしてからのことです。その近くを通りがかると、ふいにあの中華料理店のことを思い出し、訪ねてみることにしたのです。

店内に入るとあのおかみさんがいて、わたしを見つけると『あらっ!?』というような表情。かすかに笑顔。わたしのことを憶えていてくれたようでした。

「ヒサシブリネ。むすこサンワゲンキ?」

「元気です。引っ越しちゃって」

会話なんてろくにしたこともないのに、話しかけてくれました。

わたしは、昔とはかなり違った様相だったはずです。わたしの腕にはブランド物の腕時計が。財布も、ちょっとしたものです。昔つかっていた100円均一のビニールのものではありません。どれも、おかみさんと初めて会った時は持っていなかったもの。


しばらくぶりに顔を出したわたしに、おかみさんは、以前と同じように、黙って漬け物やデザートをサービスしてくれたり、「コマカイノナイから」と言ってお釣りも多くくれたのです。

おかみさんには、あの頃あたしが週に一度か十日に一度、平日のランチタイムに、まだ中学生と思しき息子を連れて食べに来ていた事情が分かっていたのかも知れません。そして、そのわたしと、いまのわたしは、おかみさんにとっては同じわたしなのです。


あの中華料理屋のおかみさんは、わたしの表面が変わっていても、目に見える部分に惑わされず、あの頃と同じサービスをしてくれた。わたしは、貧乏な時はこういうサービスを受けることがあっても、お金がある時にこういうサービスを受けた経験があまりないので、静かに感動しました。

おかみさんは、ランチタイム一人600円から800円の商売をしている。わたしが何を言いたいのかわかるだろうか。

同級生にカレー屋を経営する友人がいて、印象的だった言葉がある。友人の店に、誰もが知る地元の名士が通うと聞いて「すごい人が来るんやね」と言ったら、「俺らは庶民的な店で一杯700円のカレーを売ってる。資産100億円の人が来ても700円、中学生が来ても700円や。だから、どんな金持ちが来てもな、すべては700円をベースに物事を考えられるねん。あの人はうちのカレーが好きでよく来てくれはる。だから、たまにコロッケおまけするやん。そしたらな、その偉いおっちゃん、嬉しそうにありがとうってゆうて帰りはる」と答えた友人の顔には、飲食店経営者のプライドがあった。

わたしはこれまで、お金がすごくあったり、まったくなかったりと、ジェットコースターの人生を送って来ました。ですから、それと真逆の現象にも多く出くわしたりもしてきました。お金があるひとには、



—ーお金持ってるみたいだからまあいいかーー



だいたいの人はこうなります。


しかし、あの中華料理店のおかみさんは違った。もしかしたらわたしはあのおかみさんよりお金を持っているかも知れません。しかし、おかみさんは金のあるなしに関わらず、わたしを見ているんです。今お金があるみたいだから、今お金がないみたいだから、じゃないんです。わたしはあのおかみさんに一目おきました。だからときどき、ホッとしたくなってあのおかみさんに会いたくなります。おかみさんは、この先わたしが運転手付きの黒塗りの車で乗り付けても、たぶん変わらぬ態度です。昔と同じように、デザートと漬け物をおまけしてくれるでしょう。おかみさんは、損得でわたしを扱っていないんです。

「人の心をつかむのはどうすればいいですか?」
「傑物と付き合うには?可愛がられるコツは?」


と聞かれることがありますが、単純なことです。


人の心をつかむには、



お金に負けないこと。
その人をみること。
下心を持たないこと。





たったこれだけのことです。他に方法はありません。