今日、ふと疑問に思ったことがある


私って、美の価値観、歪んでるのだろうか?


今日みんなとフィギュアの撮りだめを見てた


私がいい演技だったというもの、みんながいい演技だったというものがなんだか違った


声には出さないでおいたけれど・・


ある人の演技を見たとき、なりきれてない気がすると思った


でもみんなはなりきれてる、と言って褒めた


後からよくよく見ると、以前よりもずっと上達してるように見え、それなりになりきれてる、と私も思った


こんなふうに、みんながこうだといったことで、私もそのようだと思うことがよくある


実際、この場合、私の見方が足りなかったのかもしれないが、それにしても・・日常で家族と感じ方が随分違うなと思うことがよくある



大抵、そういう時は私が思ったのと逆のことをみんなは感じている・・



そういうことに出会うたびに、私って、見方がおかしいのかしらと思うことがよくある


そして決まって私もみんなと同じ見方に変わっていく


私は信じやすいタイプで、言われたことをそっくりそのまま疑わずに信じてしまうタイプだから、みんながいいというならいいんだろう、みたいに思うことも多い



でも、と私は思った


それじゃ、私の見方、私の美の価値観はどこにあるのだろうと


みんながいいというものはいつの間にか私も好きになっていった


昔からそうだった


妹が空を飛んでみたいね、と言ってジャンプする・・全然その気もなかった私だが、自分も空を飛びたい、と思っているのかな?思っているんだ、としているうちにいつの間にか夢の中で空を飛ぶようになった


空を飛ぶことの憧れが私の心にも植えつけられたのだ




こうして見ると、私という人間は周りの人に影響されて、好きになったりしている気がする


美やこれがいいと思うものって、案外、周りの人に影響されているのかもしれない、と思う


でも、かと言って私にも譲れないものもなくはない


この作品が好きだ、この絵が好きだ、ほかの人になんと言われようと・・という部分もある


そういう私の好きなもの、などは生まれ持ってきたものなのかもしれない


ただ、私が言いたいのは、今の私、少なくとも今の私は、周りの見方にあわせて、好きになることが非常に多い気がするということ・・


逆に妹などは、見方、好き嫌い、はっきりしていて、自分がそうと思ったものは譲らない


私もそうしてみたいと思った


でも、そうしたら、周りの人にはなんでこれが?と思われるのではないかと、ちょっと怖い


要するに、私は自分に自信がないのだ


結局ここに行き着く


自信がなくて、いいと思ったものでも、周りの人の意見を聞いてから、そのことを口に出すようになった


しかも、周りの人がそれをイマイチだというと、そう見えてきて、自分が恥ずかしくなってしまう


こんな自分とおさらばしたい


もっと堂々と自分の好きなもの、嫌いな物を持ちたい


そう思うのは間違いなのだろうか?


みんながいいというものの方が、本当にいいものなのだとしたら?


ああもうわからなくなってくる


本当にいいもの、などあるんだろうか?


特に美の世界では・・


ある人にはいいものでもある人には・・というようにきっと決められない


だから、たぶん私が私の美の基準を貫いたって、いいのかもしれない


そんなことを考えた夜でした