ガラスの仮面、45巻が届きました^^
でも、思ったほど進展はなし・・
それに、前から感想を書くつもりだったけれど、かけていない分を少しずつ、今日も書いていきます
こないだは17巻だったので、次・・・まずは18巻・・この巻ではつきかげや一角獣の劇団と一緒に舞台に立つことを止められたマヤが一人で・・演劇の練習をし、学園祭などで力をつけていくところです
そのためにマヤは同級生の力を借りて、体育館の中で、体育に使う道具などを利用して、ひとり演劇をします
一人演劇をする上で必要なのがパントマイム・・・
そのすべも、子供たちに見てもらったりしながら、少しずつ身につけていきます
そうして出来上がった一人舞台はマヤの動きとともにいろんな景色、物、人々が見えてくる、一人とはいえ、とても魅力的な舞台になりました
月影先生は、観客は偉大な指導者・・観客によってマヤの演劇の技術が磨かれていると言っています
その言葉にもなるほどと思いました
同じ役者たちではなく、観客に、パントマイムが分からなければ意味がない・・・下手な演技をすればたちまちわかるし、いい演技をしたら拍手がもらえる・・観客に素直に伝わる演技をしなければならない・・それが理屈などではない、本物の演技なのでしょう
どんなに上手くても感動するのは自分じゃなくて観客なのだから・・・
マヤは学園祭の女海賊ビアンカという劇のあと、とおり雨という劇を演じようとします
そしてこの巻あたりからこんな言葉が出てきます
舞台という虹の中に私の家族が居る・・!
これはマヤの気持ちです
今や誰も実の家族のいないマヤ・・
そんなマヤでも舞台にたてば、別の人物になれて・・暖かい家族の中の一人にだってなれる・・
舞台という虹の中に私の家族はいる・・
これを聞いてなんだかすごく切ない・・でも健気だけれどとても前向きな考え方だなと思いました
そして、19巻に移りますが、ここで、とおり雨をマヤは演じます
なんだか・・すごく切ない、お話、地味だけれど、すごく身近な感じのするお話です
これを演じているマヤは幸せそうで、またまたこっちが切なくなってくる・・
そしてちょうど同じ頃、姫川亜弓は一人芝居ジュリエットに挑戦します
そして20巻・・
マヤは今度はロボット役で、堂々と演劇部で演じ、みんなに才能を認められるようになります
その後・・速水に連れられ、姫川亜弓のジュリエットを見ることになるのですが、マヤはかなりのショックを受けます
姫川亜弓はパントマイムのプロに教わり、体も鍛えて、マヤとは比べ物にならない一人芝居を演じていました
ドキドキ・・舞台を見ながらマヤは思わず速水にしがみついて震えてしまうほどでした
そして亜弓との今の実力の違いを思い知ることになります
20巻まではだいたいそんな感じ・・・・
そして20巻あたりから出てきた、気になる人が一人・・
聖唐人です
聖唐人・・幼い頃に一家心中しようとしたところ、聖唐人とその父だけはかろうじて助けられ、戸籍を失い、大都芸能の影として生きている男です
なんだかすごくいい人みたいだけれど、影のある・・不思議な感じ・・
クールだし、最初は姫川亜弓の相手になったりして・・なんて考えていたけれど、なわけないよね、今は大都芸能、速水命という感じだし・・
でも影として生きる運命がかえってなんかかっこよかったりもします
でも、そののち速水に、誰かを好きになって不器用になったことがあると言っているのが誰のことなのか気になります・・・!
あ、でも私は速水真澄の方が好きです^^
今日はそんな聖唐人のコーデもプーペでしたので載せておきます
ガラスの仮面、本当に長いので書いても書いても書ききれなさそうですが・・
今日はこのへんまでにします
また書きますね(^ー^)/~~