時々、予期しない感動に出会う事が多く録画している72時間
今回は帯広のばんえい競馬場だった。
不格好なほど逞しい馬たちの頑張り、それを応援する人達の様々な人生に胸打たれた。
見ているうちに思い出した。
確かこれは子供の頃に見た光景だと。
バンバ競争、と言っていたと思う。
札幌の通勤圏ではあったが、広大な農地の広がる私の育った町
ばんえい競馬が開かれると、本当に春が来た!と思えた。
土埃が舞い、おじさん達の大声が響くそこは、居心地の良い所では決して無かったけれど、不器用で一生懸命な馬たちの頑張りに、似た者同士の様な大人達の応援は、春が来た嬉しさに溢れ、胸がドキドキした。
会場にはにぎやかに屋台も出て、
つい1ヶ月くらい前は、雪解けのドロ道に悩まされた事も忘れられた。
そう言えば、自然の移り変わりが
見事に生活に直結する北海道で
子供時代を過ごせた事は、なんと幸せだったことだろう。
長い雪の後、一斉に花が咲き
裏山の山頂から湯気が立つ(実際ポカポカと湯気の様なものが空に向かうのが見えた)と、その頃ロビンソンクルーソーや南海漂流、家なき子なんかの冒険話にはまっていた私は、
カバンにおやつと水筒を詰め、天涯孤独な子供になりきって、山に登り雪解け水をすくい、今日のねぐらを探して歩き回っていた。
短い夏の思い出は意外に少ない、
小学校1年か2年生の夏、石狩海水浴場ヘクラス全員で行った写真が残っている。アシカみたいな太っちょの先生と、楽しそうな子供達の笑顔
記憶には無いけれど、なぜか微笑が浮かんでくる。
旅行に行く余裕も無かったはずなのに、ある夏、まだ生きていた上の姉と下の姉、そして母と私、女ばかり4人がかしこまって写真館で撮った写真がある。
多分これは4人で銭函海水浴場に
旅行した時のものだろう。
海で泳いだ記憶は無く、確か旅館に泊まった気がするので、最初で最後の家族旅行のつもりだったのかな?
それにしても私の記憶はあやふやでどうにもこうにも😣
さて、小学校にはまだプールは無く、6年生の卒業前に、在校生の為にと夏に出来るプールの為の整備作業、嫉妬しながらやった様に思う。
温暖化の今のようでは無く、夏は短く海に遊べる期間も一週間ほど
だから今でも水は苦手です。
短い夏が終わると、何もかもがとてつもなく美味しい豊かな秋がやって来る。家は農家では無かったけれど、親戚や御近所から次々に頂くもので台所はいっぱいだった。
トウキビは毎日飽きるほど食べ、茹でる派も焼き派もいるから両方出てきた。
大人になって旅館の朝食に、カンカンと音がするほど硬い塩鮭が出てきた時には涙が出た。柔らかくほくほくほぐれる秋鮭が心底懐かしかった。
まだまだ色々あるけれど
母子家庭でまるで余裕の無い家庭で育った私にも、いつの季節も豊かな幸せな時間の記憶がいっぱいある。
きっと貧しさも父親不在の寂しさも、あのとんでも無く大きくて豊かな自然に包まれ癒やされていたのだと思う。