従わせたいのか

導きたいのか

 

導きたい。。

 

ならば「口説け」

 

 

 

 

これはひと昔前、

友人がイエスに、こどもとの関わりについて問いかけた際のやり取りで、

後日、それをシェアしてくれて印象に残った一節なのだけれど。

(たしか、こんな感じだった。)

 

 

「口説く」っていいな。

「情熱」だもんな。

 

ってその時思って。

 

 

 

 

でも今は、私的に「導く」ということさえ思わなくなっている。

 

 

 

先日観た自主映画も「食育」とかその類のワードがついてまわるのだけれど

 

おとながやる、大事にする

「考え」「理念」というものも理解できるけれど。

 

或る方向に舵を切る。 チカラの指向性を意識してね。

 

でもそれは「周辺」でしかなくなる印象なんですよ。

 

 

映画に登場する こどもたちや、

実際私が絵画教室で関わらせていただいている こどもたちも、 

 

 

ただ ただ 

楽しんでる。

遊んでいる。

 

 

そこに大人の思惑は関係ない。

でも大人はそれをのっけたがる。

 

 

映画に登場する,それぞれの農法の先駆者も、

そんなこどもたちと同じ笑顔だったり 佇まいだったりする。

 

 

 

以前の投稿記事。

集中力と物質化 | こころ踊り・跳ね・振動する (ameblo.jp)

 

理解とか共感よりも

「自身にとってのソレ」を各々がする方が

世界は成熟し進化し豊かになるよね。

 

 

 

 

 

 

わたしが教室で関わらせていただいた 或るお子さん。

何年も、ただ眺めて観察して、

彼にかけた言葉は 

 

 

 

こんにちは!

 

いいねー。 

やるねー。 

それステキだねー。

(全てわたしの感想)

 

さようなら。またね。

 

 

 

 

ぐらいだったと思う。

 

 

でも、いろいろみせてもらった。

 

電車が好きな彼が、

ひと言で電車好きといっても何に惹かれているのか

 

紙粘土をいじれば こんな電車愛。こだわりの現れ方。

(車両の連結部。連結した車両の長さとホームの関係)

 

絵を描けば こんな電車愛。こだわりの現れ方。

(駅名を1つ1つたどり、乗り換えとかを思い出しながらの路線図)

 

ある時から野球が好きになって

 

身体の動きによろこびを見いだし。

仲間との関わり方を模索したり。

 

観戦では選手の応援歌に興味を示したり。

 

とかね。

 

そんなところから、

日々、彼が何を見て何を感じて何を大切にして生きているのかが

伝わってきたしそれを親御さんとシェアできた。

 

 

風の便りで

今、吹奏楽部で活動しているって。

 

「え!意外。関わっている間はそんなそぶり、まったくみせなかった、、はず。。」

って思った瞬間

その子の名前を思い出した。

 

「吹奏楽」の中の一文字が入ってたのを。

 

 

 

だから。

 

「導く」って言葉もわたしの傍らを通り過ぎていった。

 

 

 

 

みんな勝手にやれる。

 

それは 尊い。