今日練習しながら考えていた事は
先をイメージし続ける事。

久しぶりにピアノを弾いていて、
(私はピアノはプロではありませんが、3歳から弾いています。)
ショパン、リスト、ドビュッシー等弾き続けていたら
すぱーんと、何かが開けた気持ちになった。

それは、大げさに言えば音楽と自分が一体になるような感覚。
フルートを吹いている時に一番おもむきをおいていることの一つが、
曲の先の先まで自分の感覚を繋げて行くということ。

尊敬する教授がこの感覚を言葉でうまく表現していらしたけれど、
「自分の耳の内側で、理想の音楽を鳴らし続けること。
 それをただ体の外側に鳴らす作業が、音楽を演奏するということ。
 だからたとえ、何年もフルートを病気で吹けなかったり、
 特別な状況に追い込まれたとしても、
 すでにプロとして演奏している人なら、
 いきなりフルートを持ったその日から、
 ある意味ですぐに現役復帰ができるはず。

 もちろん、少し筋肉を戻したり、唇の状態を柔らかくしたりと
 コントロールは必要だけれど、普段から楽譜を読み込んでおきさえすれば、
 実際に演奏すること自体は、その場でできる。
 それが、本当の音楽家なのです。

 久しぶりだから、音程がずれちゃうかもしれない。
 テンポがゆれちゃうかもしれない。
 音色が思った音でないかもしれない。
 思った音量で出られないかもしれない。

 そう思った時点で、その疑問を音にしようとしている時点でアウト。ということです。

 こうなっちゃうかもしれないなー。
 もしかすると音程が低くなっちゃうかなあ。と
 さぐりさぐり、確認しながら吹くのではなくて、
 ここで、この音をこう鳴らす。この音程で、この音色で。
 と常にはっきりとしたビジョンを持ち続けて、その姿勢を崩さないこと。

 そして、その内側の理想形の音楽は、
 0,01秒~数秒程度先に流れ続けていって、
 それが実際に音としてこの世に存在させるために、
 音にするというのが私たちの仕事。」

だからこそ、指揮者という職業が成り立つ訳ですね。
指揮者は自分自身で楽器を演奏していない。
でも、理想の音楽が彼の頭の中で鳴っているから、
それをそのバランスのオーケストラで理想の音色で
鳴らすこと、音楽を作り上げることが、指揮者の仕事。

あれは、ただタクトをテンポで振るという仕事ではなくて、
指揮者の頭の中に鳴っているハーモニーをオーケストラに
反映して、思い通りに鳴らす。という作業をしているのです。
そして、オーケストラの一人一人は自分の頭の中に流れる音楽と
指揮者の音楽をできるだけ近づけて演奏しているわけです。

そんなことできるの?というと、
できるのです。そこが一番面白い所。

指揮者が違うと同じオケでも音楽が変わるし、
オケが違えば同じ指揮者でも、音楽が変わるのは、
こういう作用がいろいろ起こっているから。

音楽には、音楽自体にすでに理想の音楽というもの
エネルギー、命が込められているので、
それを読み取って音楽にする時には、
すでにその生き生きとした理想の美しい音楽が
まず体の内側に存在していることを想像して感じる事。

例えるなら絵描きなら描きたい絵が先に浮かんできて、
その通りに形を描き、色を塗るでしょう。
何も考えないでキャンパスもなく、
筆を振り回したって、絵は完成しません。

料理人なら作りたい味が先にイメージできる。
映像を手がける監督は、台本を読んでいる時点で、
もう映像の色や形や匂いなんかがイメージできるでしょう。

そして、音楽を演奏するときに、
演奏している瞬間に意識を集中してしまうのは、
実はちょっぴり、遅すぎるのですね。
ほんの少し先を生きていないといけないのです。
理想が耳の中に先に鳴っていて、
実際の表現はそれをおいかける形です。

ピアニストは、特にたくさんの音を一人で担当しているので、
3小節くらい先を生きています。
常に数小節先を読みながら弾いているのです。
だいぶ先を読んでいるので、本番の譜めくりを急に頼まれたりすると、
どのタイミングでめくるのか、ちょっとどきどきします。

先日は、クラリネットの大事な
入学試験のコンクールで突然譜めくりを仰せつかり、
ちょっと手に汗握りました。
予期せぬ時にたとえ譜めくりであろうと
いきなり本番の舞台に出て行くというのは、
心の準備がないので緊張するものです。

初対面のピアニスト、初めての複雑な曲だと
そのピアニストが果たして4小節先を読んでいるのか、
少しだけ後なのかが解らない上に、
私は楽譜を見るのさえ初見なわけですから。
もちろん、「い、いいですけど、数分前に一応楽譜見せて下さいね。」と、
テンポの変更箇所等を確認してから、やりましたけれど。

案の定、2曲目に入る時に、小声で、
「あと気持ち前でめくって下さい。」と言われて、どきどきでした。

彼女がまだ読んでいる最中にめくって、
アクシデントが起こることを恐れて、
ついついつい気持ちめくりのタイミングが
遅くなってしまうのですよね。
だって、現実に弾いている箇所は数小節前なんですよ。
本当にもうめくっていいの~?と思いますよね。

この念のためという感じを捨てて、
流れに乗っている感覚を掴めるまでが音楽の大変なところ。
でも、途中からどんどん曲も解ってきて
舞台上の演奏者と感覚が一体化する感じで、
楽しくなっていきました。
でも、実際は譜めくりの人は舞台上で
どこまで存在を消せるかが大事なわけで、
体を揺らしたりしてもいけないし、
椅子に座る時に音をたててもいけないし、
立つタイミング、めくるタイミングと大変気を使うわけです。

*****

音楽というのは、流れに乗ってしまえば、
まるですいすいとスキーで滑りおりているように
自然に音楽が流れ出すのです。

これは、たとえ自分が演奏していなくても、
こうやって楽譜を読みながら演奏を聞いているだけでも、
体感できること。

指揮者は、演奏会前に、
目をつぶって全曲の全部のパートを
頭の中で一つ残らず鳴らす事ができる生き物。

というわけで、音楽家は、
少し先の時間を生きていないといけないのです。

そして、このほんの少し先で、こんな風に和音を鳴らしたい
という体と頭の欲求に従って綺麗に和音が響いてくれた瞬間、
体中がぞくっとするほど、心が震える感じなります。

このぞくっとする感じが、音楽です。
自分が自分がというエゴが残っていると
この音楽と一体になる感覚は得られないのですが、
音楽のことだけ、和音の進行だけに気持ちが集中していると
ふわ~っと突然やってきます。

「突然モーツアルトが解る瞬間がある。」とか、
演奏家はかっこいい言い方をすることが多いですが、
なんていうのかなあ。もっとこう体感する感じなんですよね。

そして、もちろん、その音楽と一体になる感覚が
聴いている人に届いて、聴いている人も
いっしょにそれを体感している状態が
一番一番気持ちのいい瞬間です。
そのために、音楽は存在しているし、
その瞬間を生きられると、
なんだかもう夢の中にいるような気持ち。

それは、たったの一人の前で
「この曲のここの部分がさあ。」なんて吹いてみせている時なんかにも
ふっと訪れる瞬間があるのです。

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写真は、関係ないけれど、かわいかったラデュレのキーホルダーと、
すっかりクリスマスの飾り。せっかくの冬だから、こういうコーディネイトも
いいなあ。と思ったクリスマスカラー。
paris暮らし

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