今日のレッスンで話した事。

フレーズの頭の音は強く出しすぎない。
たとえ、フォルテッシモと書かれていても、
フレーズの頭から強くしてしまうと、
それ以上音量、音色が広げられないし、
フォルテッシモの中の強弱があることを
忘れてはいけない。

新しい曲をやる時に一番大切な事は、構成力。
まず、楽譜だけを見て楽器は持たず、
テーブルに向かって研究すること。

まず、テンポ、リズム、曲のイメージを掴む。
古典の場合はアーティキレーション(スラー、スタッカードなど)
装飾音符や上からのトリルか下からか、和音を見て決める。

フレージング、ブレスの位置、
ダイナミクス(強弱)、クレッシェンド、デクレッシェンド、
音色の変化をつけたい箇所、
優しく、力強く、哀しく、切なくなど
言葉で部分ごとに表現したいことを決める。

フォルテならビブラートを大きめに、
ピアノなら小さめに。
息の量、スピード、方向の変化で音色を変える。

こういう詳細のイメージを全て作ったら、
自分の体の内側にこの音楽の完璧な状態をイメージする。
演奏していない状態で、すでに自分の耳の中に、
こういう音で、こういう変化をつけながら、
こういう表現をすると決定してしまう。

それが、決まったら初めて
楽器を持って、楽譜に向かって
音を出す。

この音楽的な構成、計画が先にないまま
ただ音を並べて、書いてある事をやったつもりになって
レッスンに来たり、演奏したりすると、
ただの棒読み、心もこもらない
つまらなーーーい何も中味のない演奏になってしまうので、
中味のない演奏をするくらいなら、
演奏はしないと心に決めるほどに大切な事。

これは、楽器を組み立てて
音だしをする、最初の音作りのエクササイズを
やる時点で、音色、ビブラート、アタック(音ので出し)
クレッシェンド、音の繋げ方、ビブラートなどを
音楽的に美しく生き生きとやろうという、
いわば「やる気」おおげさに言えば「生きたいという欲求」
みたいなものが込められていない日は、
その後、どんなに曲で「生命力」や「感情」を
込めようとしても、こもらない。響きに全てが現れてしまう。

音を出す時に、体の中に響く体感を一番大事にして、
会場が変わろうと外側に鳴っている音に惑わされず
自分の体の中の響きを一番のたよりにする。

呼吸をして吹き始める時、
必ず前に向かって音が出て、
前に向かって胸や手が広がるように意識する。
この動作は、5万人の前で吹こうが
家で一人で吹こうが、全く同じ方向に動くように
常に意識して最初の3小節に全神経を集中する。
いつも同じ動作で始めることで、自分に安心感を与え、
常に自分自身でいられるようになる。

音楽というのは、最初の数小節で全てが決まってしまう。
安定した美しい音で出られれば、
2時間でも聞いていたいと思うし、
ここでつまずいてしまうと、その後1時間
どんなに頑張っても
どんなに美しい音楽をしようとしていても、
実は、誰も興味を持って耳を傾けてくれない。

構成のはっきりしない音楽ほどおもしろくないものはない。
どこに向かっているのかもわからず
旅行にでるようなもので、
どこでどんなことを表現したいのかを、
必ず決心してから吹き始めること。

********

なんてことを、数時間。

音で実際に確認しながらでないと
レッスン内容を伝えるのは誤解も生まれるし、
こんな話を書かれても、ぴんとこないかな。とか。

あまり専門的な話は、
おもしろくないかなあ。と、ここでは音楽の話は、
あまり書かなかったのですが。

私も、アスリートの方の練習方法や
他の分野の方のお話を聞くたびにヒントをいただくし。

意外と、こういうお話に興味を示してくださる方も
多くなっているので、ときどきならいいかなと
書いてみる事にしました。

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paris暮らし

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