このあいだ、尊敬するコンセルバトワールの教授が言っていたこと。

「ストレスというのは、
 頭の中で考えていることと、
 体がばらばらになっているときに起こるもの。」

これは、名言だなあ。
本当に、そのとおり。

頭で考えている理想と、
体が体現している現実のギャップがあると、
人って苦しくなってしまうのですよね。

フルートのレッスン中の言葉なので、
今回は、音楽の話ですけれど、
いろいろ応用がききそうです。

演奏の場合、まず最初は、楽譜の構成を読んで、
例えば、それを物語風に作って、感情をのせて、
頭で(言葉で)考えて音楽の構成を考える。
(もちろん、作品のスタイルは守りながら、
 そこには、すでに演奏者の個性というものが入ってきます。)

ここは、フォルテと書いてあるから強く。
というだけでは、ぶっきらぼうな台本の棒読みみたいで
まだ何も意味がされていない。

例えば恋物語の中で、
感情を爆発させた叫びのようなフォルテなのか、
人の死に直面した絶望のフォルテなのか、
怒りのフォルテなのか、驚きなのか、
ちゃんと意味付けをしてから演奏すると、
全く音に込める思いが違うもの。

そして、それを演奏するためには、
体を使わないと音にできないから、
きちんと背骨や筋肉が思い通りに使えていて、
無駄な力が入っておらず、
バランスがとれていて、
正しい呼吸ができていること。
頭と体をつなぐものは、呼吸です。

自然でバランスのとれた正当な呼吸と重心の移動を
常に感じながら、すべての音を作っていく。
低音は、下半身、
中音は、腰から体を通って、
高音は、頭から上に、
重心を移動させることを意識する。
(これは、イメージで実際の基本の重心は
 常におへそより下の下半身にどっしり置いておく。)

意味のない音、感情のこもらない音は、
ひとつも存在しないようにする。

この感覚をつかむと、
練習するのも苦しくないし、
演奏することは、ちっともしんどくない。

練習練習と、苦しいだけの練習というのは、
音楽の構成か体の使い方か
どこかが間違っていると思ったほうがいいのです。
そういうときは、一度やめて、
お茶を飲んだり、掃除をしたり、別のことをして
体がリラックスしてから練習に戻ります。

自然な流れで体を使うことができるようになると、
頭の中で思い描くこととのギャップがなくなるので、
何百人の人前で吹こうが一人で吹こうが、
同じ状態を作れるようになって、
常に自分自身でいられるようになる。

それができあがって、訓練が済んでいれば、
今度は、体が自由に音楽を表現してくれるようになるから、
舞台の上では、ほとんど何も考えなくても、
体が表現してくれるようになっているもの。
そして、常に頭と体が一体になって
自分自身でいられるようになるよ。

というようなお話だった。

「そんな音じゃあだめだ。」と言われてもできない生徒に、
どうすれば、それをできるようになるか、
体の使い方を具体的に説明できる教師というのは実はとても
少ないので、とても貴重なレッスンでした。

私は、通訳としてその場にいたのですけれど、
2時間びっちりのレッスンを2回通訳しましたが、
ものすごい盛りだくさんの内容で、
来週もまだまだ続きます。

おもわず、
「先生、教則本など出版する予定はないのですか。
 素晴らしいメソッドですね。
 30年ほどあらゆるレッスンを聞いていますが、
 こんなに体の使い方を具体的に論理的に聞いたのは初めてです。」なんて、
 大それたことまで言ってしまいました。

だって、こういうメソッドが本になっていたら、
翻訳すれば外国でも読めるし、いつも見直せるじゃないですか。

「本では、その生徒の呼吸や体格や立ち方や音、アンブシュールなんかを
 確認してあげられないから、
 体の使い方には個人差がありすぎて無理ね。」ということでしたが、

人に教えるということ、学ぶということは、
素晴らしいなあと改めて思う
とても充実したレッスンでした。

結局は何でも自分でやらなければできないのですが、
良き師に出会うって、とても大事です。

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