田舎のフランスの一軒家には、よく名前がついているという話は時々書きますが、
この家の名前は、

<Sam Suffy>

ça me suffit
十分である。(足りている。)
という言葉にかけた言葉遊びだそうです。
そのままサ・ム・スゥフィと
同じ音でサムという名前のように書いているんですね。

数年前に京都の龍安寺を訪れたときに見た有名な蹲踞(つくばい)にあった文字
吾唯足知(われ、ただ足るを知る)の4文字
(口の部分が水入れになっています。)を訳すと
この言葉になるかなあと思います。

そして、京都で4文字をmに仏語で説明したら、
バッハのカンタータにドイツ語で
これと同じ意味の歌があるね。
という話になり、
パリにもどってすぐに
CDを聴きなおして、
「この言葉を今年のテーマにしよう。」
なんて、思ったりしました。

ただ、足るを知るというのは、
現代の日本人に一番かけている言葉のような気もしますが
龍安寺のしんと静まり返った空気と
何事にも動じない、ぶれない静かで強い凛とした姿勢、
古来の日本人の禅の心を
表しているような気がして
憧れている言葉です。

一番の芸術の理想は、
音楽や芸術を通して、
聴いている人、その場にいる人が、
この庭のような風景を思い浮かべたり、
こういう静かな気持ちになったりすること
ではないかなと、思います。

まじめな話になりましたが、
ところで、salsifis サルシフィは、
音が似ているけど「ごぼう」です。(笑)

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