先日、レッスン通訳のお仕事で
ピアニストのJean-marc Luisada先生にお会いする機会があり、
いろいろ音楽のお話を伺いました。

例えば、演奏というのは、心の中、意識の中で
なっている音が実際に演奏されるものなので、
まず意識の中で絶対に音楽の流れが
止まらないようにすること。

長い音をのばしている間に、
よく本人が気がつかない間に
演奏者の心の中の音楽が止まってしまうのだけれど、
そこで常に先を見つめて流れを止めないこと。
(特にピアノは、長い和音などを弾くとき、
 のばしている音の頭の音を鳴らしてその後、
 物理的には、鍵盤を押さえているだけなので、
 その響かせている音を意識の中で
 音楽的に続けるということを、忘れがちです。)

ダイナミクス(音の強弱)を
今演奏できているピアッシモより
限界まで小さく 美しく繊細に

今演奏しているフォルテッシモより
もっともっと大きく 寛大に響かせる

フォルテというと
たいていの人は、
ヒステリックに強い音をたたき出そうとする。

音楽的なフォルテというのは、
広くて大きくてその響きの中に抱かれるような音。

音を弾くことに一生懸命なるのではなく、
和音で色を変えることに意識を集中する。
音楽の美しさを引き出すような気持ちで音を扱う。

楽譜の音を弾いているということにとらわれず
音楽を、和音の変化をどうやって美しく響かせるか、
音楽の流れと自分が一体になるまで集中する。

大変個性的な演奏をされる方ですが、
・・・彼のような天才型スター演奏家の言葉と演奏を
目の前で聴いていると
なんだか、もう世界というのは、
この一瞬のためだけに存在していると思うほどに
意識が研ぎすまされていく。

話しながら、
ほら、あの曲のあの箇所は・・・
と、いいながら
目の前のピアノで
どんどんすべての曲を暗譜で
弾き続ける。

いったいこの人の頭と心の中には、
どれだけのすばらしい音楽がつまっているのだろう。
そして、それを自分の思い通りに演奏できる
技術と体を維持し続けるというのは、
大変な努力だろう。

なんだか、あまりにもさらりとやってのけるので、
それがあたりまえみたいに見えてしまうけれど。
人間って本当にすごい力を持っている。

ただし、こういう演奏家にお会いしていつも思うことは、
感激したり、びっくりしてばかりでは、だめなのです。

すごさに圧倒される暇があるなら、
じゃあ、何がそんなにすごいのか。
どうして、この人は、自分の理想の音楽を
頭の中に作り上げることができるのか。
それを音にできるのか。
ちゃんと聞いて、ちゃんと見て、
自分の道に生かさなければ。

実は、数年前に彼がたまたまカフェで
大きな犬をつれてお食事されている時に、
隣の席に居合わせたことがあり、
先生の大々ファンの日本から
来ていたピアニストの友人が
いっしょだったので、

「る、る、る、ルイサダ?本物?!!!!
 こんな偶然ってある?!
 あこがれの人が目の前に!
 しかも、日本から来て、2日目に!」と
密かに地団駄を踏んで大喜びし、
話しかけてくれとつっつくので、

私も、演奏会を聞きに行ったこともあるし、
現在、私の母校で教鞭をとっていらっしゃるということもあって、
「お食事中すみません、私はノルマル卒業のフルーティストで、
 実は、彼女は日本から来ている友人ですが、
 もう先生の大ファンで、全部のCDを持っていて、、、」と、
お話したことがあるんです。

お邪魔をしては、いけないねと、
写真やサインは遠慮しましたが、
彼女がどんなに喜んでいたことか。

先生が食べ終わって帰ってしまってから
その席に座って写真をとっていたくらい。(笑)

いつでも、愛犬と行動していて、
(とてもかわいくて、おとなしくて、本当にいいこです。)
実はレッスンにも連れてきていて、
事務所でおとなしく待っていました。

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