2日連続の救急車搬送 | marieとリョウの人生ヒマつぶし

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フツーの主婦marie(マリー)と
その息子リョウのフツーの日常が一転、
2011年、東日本大震災の被災者に。
2016年、大黒柱のパパが難病に。

ちょっとだけフツーじゃなくなってしまったけれど

フツーじゃないあれこれが
我が家の新しいフツーになりました。

そういえば、入院に至る話をしてなかったな

と気付いたので、一応覚書程度に。


入院前々日

風邪っぽいなと思いつつ就寝。

変な息苦しさで眠れず、朝を迎えました。


入院前日

昼過ぎまで闘ってはみましたが

ヤバめリミットを振り切った瞬間があり

その時、迷わず救急車を呼びました。


ひとつめの病院で検査

コロナ、インフル陰性

レントゲン異常なし


その後、酸素量の回復があったため

一旦帰宅(←させられました)。


入院当日

なんとか死なずに夜は越えたけど

その後も快復する気配はなく

結局、動けなくなってしまったので

ケアマネさんに相談して

主人の身の回りのお世話をしてもらうべく

ヘルパーさんを派遣してもらうことに。


その後、主人のお風呂の介助で来ていた

訪問看護士さんが酸素飽和度測ってくれて

「marieさん、これはあかん。

すぐ救急車呼びましょ。

絶対なんか原因があります」と二度目の救急車。


救急車に乗れたら、とりあえず安心。

ソッコーで酸素投与してくれるから。


朦朧とする意識の中

ふたつめの病院であらゆる検査

大量の血液を採られたり

点滴受けたり、CT撮ったり。

(でも結構、記憶が曖昧)


判明した病名は“気管支喘息”でした。

あの息苦しさは発作ってヤツだったのね。


今まで喘息なんて出たことないし

「喘息って生まれもったものかと思ってました」

ってERの人に言ったら

「大人になって発症する方もいらっしゃいますよ」

って言われました。


知らんかった。びっくり。


その後、酸素量は少し回復したものの

まだ不安定で不安。

また救急車呼んで

またまた帰らされるのはもう勘弁!


処置を受けた病院では

軽症の患者のためのベッドは

空きがないということで

転院して入院することになりました。


みっつめの病院に移動

病院が変わる度に

家からどんどん離れていって

とりあえず落ち着いた場所は

『結局どこやねん、ココ』って感じでした(-_- )


2日程、酸素投与を続けたら

徐々に呼吸も整ってきて

酸素の機械を外しても大丈夫な感じ。


酸素って偉大だわ!


ヘルパーさんの確保が難しかったのと

会社との折り合いもあって

主治医に強く要望して

一週間での退院となりました。


そんなこんなで

怒涛のクリスマス期間をなんとかやり過ごし

学んだことはただひとつ。



“スマホの充電器さえあれば、

多少大変な入院生活でもなんとかなる”

でした。


救急車を待つ間

「えーっと、なにがいるかな。あ!充電器!」

と言ってくれた看護士さん。

ナイスアドバイスだったわ。

たまには人のアドバイスも聞くべきですな。


もし救急車を呼ぶことがあったら

とりあえずスマホと充電器を忘れずに!