荒川区南千住にあります
延命寺
『首切り地蔵』
首切りって聞くと💦
ちょっと怖くなってしまいますが💧💧
それもそのはず
首切り地蔵さんのいる場所は
『小塚原刑場跡地』
小塚原(こづかはら、こづかっぱら)
また骨ヶ原とも書きます
江戸時代から明治初期にかけて
実際に存在していた処刑場で
1651年 慶安4年 刑場創設
1741年 首切り地蔵が建てられ
1873年 明治6年 廃止
に至るまで
およそ200年の間に
20万人以上の罪人等が
処刑されました
この人数
すごすぎじゃないですか。。(((((゜゜;)
2000年以降
日本では94人の死刑囚に対して
刑が執行されていますが
20万人余りの中には
罪人だけでなく
軽微な罪の人や
無実の罪を着せられた人も
たくさんいたのだそう。。。
死体はそのまま
野ざらしとされたり
丁寧に埋葬せずに申し訳程度に
土を被せるのみで
夏になると周囲に臭気が充満し
野犬やイタチの類が
食い散らかして
まさに
『地獄絵図』のようだったと
言われてます
(想像を絶します。。)
また
使われる刀剣の試験場でもあったり
(当時は「おためし場」といったんだそう)
( ; ゜Д゜)
腑分け(解剖)も行われていたそうで
腑分けが行われたのは
小伝馬町牢屋敷(日本橋小伝馬町)
と小塚原刑場ですが
後に「解体新書」の翻訳のきっかけと
なったことでも有名です!
そんな実際に起きていたことに
目を背けずに
見ていくこと、学んでいくこと
大事だと思うのです
私の実家は隣の区にあるので
南千住辺りには昔
処刑場があったことは
知っていました💦
刑場の近くにある
なみだばし
「泪橋」
当時はここ刑場との間に
「思川」という川が流れていて
そこに橋が架かっていました
(現在は川は埋められてる為、橋はなく
地名だけが残っています)
刑を受ける人にとっては
この世との最後の別れの場
家族や恋人にとって
処刑される人との
今生の悲しい別れの場です。。
お互いがこの橋の上で
泪を流したことから
泪橋と名付けられたんだそう
悲しいですよね
想像するだけで泪が出ます。・゜゜(ノД`)
泪橋は
「あしたのジョー」でも有名です
この辺り、山谷地区が
舞台になっている
昭和を代表する漫画です!
ほど近くには
吉原遊郭もありました
昭和のダークな歴史が
たくさん詰まった場所ですが💦
苦しく不安なたくさんの人々を
無限の慈悲の心で
優しく救い上げてくれる
首切り地蔵さんの
想いに触れてきました
たくさんの人の想いに
重たくないですか?
と率直にお聞きしたところ(´・ω・`)??
全然重たくないですよ
と優し~く答えてくれました
そして
今は
ご縁があって救いを求めに来る
人々のために力を尽くしたい
そう仰っていました(´ー`)
お地蔵さんが
いつまでも
健やかで穏やかでありますように
とお参りさせてもらいました <(_ _*)>
合掌 ※。.:*:・'°☆
コンパクトなおりん✨に癒されて~