あまちゃん | 海外生活 時事と常識

海外生活 時事と常識

日本であまり知られていない海外の常識、文化、社会等の情報をお届けし、21世紀の世界標準に準ずる日本社会、国民を築く為のお手伝いとして、多くの人に読んでもらいたい、ブログです。

愚痴です。

イライラしているので、書く事で落ち着こうとしています

 

私は甘える人が嫌いです

なんていう自分もかなりあまちゃんではあるのですが、

甘えるのは家族に対してのみで他人に甘えた事はありません

 

海外に暮らしていて大変な事はたくさんあります

小さな子どもがいる家庭では、近くに家族や親戚がいなければ、

海外であろうがなかろうが、大変な事は多々あるわけですが、

それが海外になると尚更、問題が増えます

もちろん、小さな子どもの有無にかかわらず大変な事は沢山あります

それは、言語、習慣、友達を始めとしたソフトなパートだけではなく、

税金、法的権利、外国人/移民の立場の弱さ、と言ったハードな部分まで、

気付かない所までも、その不便さは浸透しています

何でもないはずの事でも、苦労の連続だったりします

 

余談:裏に住むのは84歳のドイツ人のおばあちゃん。

1956年にここに(同じ家)越して来た、と言うから

ここに住んで実に半世紀が過ぎています。

ご主人の死や色々な事情で(アメリカにありがち)なんたらかんたらで、

やっと市民権を得て、心の平穏が訪れたのは、たったの2年前だそう。

つまり、82歳までビザ云々に翻弄されるという人生。

それも、ここでは、まったく珍しい話ではありません

移民は(主に子どもの為に)、市民権等の人権を獲得するために、

人生をかけて、計画を立て、慎重に、ステップを踏んで行きます

 

その中でも、私は人に甘えた事はありません

(家族には甘えますが)

 

逆に言えば、甘え下手なのです

甘え上手な人も沢山います

 

違う言葉で言うと、「うま〜く人を使う」人です

はっきりいって、尊敬します

人にものを頼む時、頼んでいるのに、その人に嫌な思いをさせる事なく

むしろ楽しかった経験にまでもしてしまう

それは、立派な技術のひとつでしょう

人間性のクオリティーとも言えます

 

ただ、世の中のあまちゃんはむしろ、甘えベタが多いのです

 

物を頼まれた方は「使われた」感がむんむんで、

なるべく将来関わらないようにしよう、と心に決めるのです

あまちゃんにそのつもりが有るのか無いのか

気付いているのか気付いていないのか、はもう既に問題ではありません

 

一般的解釈で、日本人のあまちゃん度が高いのは、

日本人の依存体質を議論する日本人論『甘えの構造』でも知られています

 

国内でもあまちゃんの日本人

海外では、一転して肝を据えて独立するべきところ、

そんな事になるわけもなく、沢山の人が、更に輪のかかった

「スーパーあまちゃん」にパワーアップしているのです

 

良く有るのが:

車がない、または車が運転出来ないが

バスに乗ったりしたくない、車に乗せて欲しい

引越したばかりで物がないので譲って欲しい、

または引越するので物を処分したいから買って欲しい(引き取って欲しいではなく)

海外で右も左も分からない状態なので、情報を根掘り葉掘り聞きたい

英語が分からないのでフォローして欲しい

 

いいんです、少し甘えてもらっても

でも、やっぱりそれは一方通行ではなく、交互作用でなければ成り立ちません

それは、何でも同じ事ではないでしょうか

 

家電、家具を譲ってもらった→何かのお返し(煎餅等でも)

情報を沢山もらった→お家に紅茶等でおもてなしする

車を出してどこかに連れて行ってもらった、引越を手伝ってもらった→夕食等おもてなし

 

何でも構いませんが、「感謝」していることを

態度なり、言葉なり、物でなり、表す事はとても重要です

こちらもボランティアでやっているわけでもなければ、

マザーテレサのように、人を救う事に人生を捧げているわけでもないので、

こちらだって、何かを得ているという感情がわかない限り

「損している」「使われてる」という感が強くなるのは当たり前の事です

「フレンドシップ(友情)」だっていいのです、心に残る何かを。

 

私は日本人なので、日本人のあまちゃんに沢山遭遇して来ました

(基本的にどの国の人も同郷の人にしか甘えないとおもいます)

度重なる「使われた」経験と友人の「使われた」体験談で

私はどんどん同郷の人とは疎遠になってきました

周りからは、「日本人の友達がいない」のを不思議がられる事もありますし、

哀れがられる事も有りますし、子どもの言語の発達を考えると、

大変損しているのかも、と思う事も有ります。

 

それでも、たま〜に同郷のあまちゃんに出会う事があると、

また、うんざりしてしまうのです

それが、今回のブログのきっかけ

 

今回のいきさつ:

グループメールをつてに知らない人(日本人)からメールが来ました。

子どもの年歳が近いので遊ばせたいとの事。

特に変な話ではない、と思われるかもしれませんが、実際は変です

見たこともあった事も無い人が、

自己紹介もそこそこに(自分の名前と子どもの年齢のみ)

うちの子と遊ばせたいと言う。

大事な子どもの事だから、友達も学校も他の事も慎重に考えるのは当たり前の事。

「お互い日本人」という共通点だけで、「友達になりたい」というわけにはいきません

この理論から言うと、私は1億2千万人と友達になるべき、という事になります

見た事も聞いた事も無い人と大事な子どもを遊ばせるなら、

少なくとも、細かい自己紹介、子どもの紹介、プレイデートを思ったいきさつ

くらい書いてもらわないと、どうしても疑心暗鬼になってしまいます

それでも、そんな気持ちを抑えつつ、「同郷のよしみで」

日時と2ヶ所の場所の提案をしてみました

すると、A子さんは、

「車の運転が出来ないから、近くの公園まできてほしい」といいました

どこへでも15−20分あれば行けてしまう、こんな小さい町で

その公園は、私の家から30分以上かかる所にありました

私は町に近い部分に住んでいるので、A子さんが辺鄙な所に住んでいるのです

遠くまで来てもらって申し訳ないが。。。云々言ってくれればまだましだったのに、

A子さんは、いつもやっているように、既にとても友達みたいに気軽に頼み、

「何時に来れますか?」と話を既に進めている様子

「やっぱりあまちゃんだったか。。。」と最初のメールの悪い印象に納得。

スーパーあまちゃんは、期待を裏切ることなく悪化するのみで良くなる事は有りません

これで、向こうの言い分を聞いてしまうと、次々とリクエストが入るのは

目に見えていたので、なんだかんだ理由を付けてお断りしました

実に3年ぶりに出会った、スーパーあまちゃんのA子さんでした

 

A子さんが甘えるのは、日本人だけで、他の人種には甘えたりしません。

自己紹介もそこそこに、会いたいと執拗にメールしたり、

「車の運転が出来ないので」遠くまで来てくれと、依頼したりするのは

相手が日本人の場合だけです。下手すると、こうやって、自分の家族によりも

知り合いの方にもっと「甘えて」いるかもしれません

(実際、A子さんの場合も、この日は休日だったので、家にご主人が居るのですが、

ご主人に甘えるのではなく、見知らぬ他人の私にお願いごとをしたのでした)

 

自分が海外に住んでいて大変なんだということは、

日本人であれば理解してくれて、助けてもくれるであろう、いう

「甘えの思考」に基づいた「甘えの行動」なのです

 

しかし、甘えも「甘え上手」であれば、またはそれが「相互的」なものであれば

いくらでも、「favo(u)r」(助けたり助けられたり)できたりするものです

アメリカ人はとてもフレンドリーです

何でも、もちつもたれつつ、と理解している大部分の人は

何でも頼めるし、何でも頼んできます

ただ、ここで気をつけたいのは、フレンドリー=お互いに甘える事、ではないことです

一方的に「favo(u)r」を要求をしたり、一方的にお世話をしたりは出来ません

また、「初めまして」から「favo(u)r 」をお願いする事も出来ません

それは、ある程度、人間関係を気付いてからです

お願い出来る事の程度と友情関係は比例しています

(これは、日本でも同じ事だと思いますが)

それは、暗黙のルールです

ルールを守った「甘え上手」になって下さい