ミッドウェスト(*)の田舎町に住んでいます。
(*ミッドウェストとはアメリカの地域を指す言葉で、イリノイ、オハイオ
インディアナ、ウィスコンシン辺りの州を指します)
Heartland(ハートランド)としても知られるこの地域。
街、住宅街を一歩出ると広大に農業地が果てしなく広がった、
アメリカのいわゆる「田舎」としてのイメージの典型的な街です。
いうまでもなく、車社会です。
車がなくても動き回れないこともないですが、
あるとないとでは、行動範囲に天と地程の差が出ます。
そして、子供を持つ家庭にとって車無しの生活は、我慢と苦労の連続です。
子供の送り迎え、買い物(食材のネットショップが発達していない)、
病院(子供が病気な場合)これは、車無しでは不可能としか考えられません。
親子の休日のお出かけだって、図書館といった近場から、ちょっと離れた所まで、
車無しで、子供2人を連れての移動は、とても骨の折れる仕事です。
バスは30分に1本といった頻度、行く場所によってバスを乗り継ぎますが、
乗り継ぎが上手く行かないと、またそこのバス停で30分待ちというのもざら。
車ならば10分もかからない様な場所も、バスを乗り継ぐと、
裕に1時間以上かかったりします。
アメリカの田舎での生活は都市部とは全く異なります。
また、どんなに田舎に住んでいても、徒歩圏内にお店がいくつかある
という日本とイギリスとは違い、直径3キロ以内にお店が1つしかない、
ということも良くあるのです。
お店、郵便局、図書館、学校(小中高いずれかは必ず)、とにかく、
どこに行くにも車が必要になる為、、車は文字通り「自分の足」なのです。
そうなると、地元のビジネスの形式も変わって来ます。
車から降りずに事が済ませられるように、どのお店にもドライブスルーを設置。
ファーストフード、コーヒーショップ、銀行のATM、薬局、ドライクリーナー、
図書館の本の返却まで、ありとあらゆるものに、ドライブスルーで対応。
そうすると、人間もどんどんずぼらになるため、1歩も歩きたくなくなる様子。
例えば、どこかの駐車場に設置してある郵便ポスト、ドライブスルーではないのに、
車ですれすれまで近寄って、車の窓から投函する始末。
この様に、最低限も歩かない、運動を一切しない、椅子から降りない、
といった生活習慣は、欧米で大きな健康問題になっているObese(オビース、肥満)
を助長することになる、vicious circle(悪循環)になっています。
だだっ広い車道、車の数が少なく、空いていて危険性の少ない道、
車で移動する事は、靴を履いて外に出かけるのと同じ位の気軽さになっている。
こういった条件が重なると、車の行動も怪しいものになってきます。
ハンドルを握る時は、いつも緊張、常に慎重と言った本来ある運転姿勢ではなく、
自分の足で歩いているのと同じ様な感覚になり、自分が今車を運転している事を
まるで、忘れてしまってるかのよう。具体的に何をするかと言うと、
何かの用事で(電話等で)急に路上にそのまま止まったり、急にUターンしたり、
片手間運転でそろそろと走っていたり、混んでいる道では考えられない行動。
ある車が、急に木の後ろに止まるので、「かくれんぼでもしているのか?」とか、
止まっては動き、止まっては動きしてるので、「だるまさんが転んだでもしてる?」
とか、車という機械が意志を持って行動している錯覚にまで陥る事も。
また、街で、近所で、あらゆる場所で友達とすれ違うのも車です。
東京ならば、路上で友達とばったり会うと、立ち止まってお話しするのでしょうが、
こちらは、車中から「こんにちは」。ということは、友人の車を識別する事も
社交辞令に。黄色いセダンとか赤いクーベとか、分かりやすい車種ならともかく、
皆様、当たり前ながら地味な色に無難な車。同じ様な車が沢山存在す為、
友人かどうか判別する方法は、従来通りの「車中を覗き込む手段」を使います。
すると、大きな機械を操縦し、顔だけ見える友人達の姿は、すでに、
ガンダムを操縦しているアムロのよう。外には空気がないなどの、
機械から降りられない理由でもあるかのように、車中から挨拶し合う私達。
宇宙のコロニーに一緒に住んでいる様な連帯感まで感じてしまう私でした。