新宿メロドラマ。

新宿メロドラマ。

いよいよどうにもイヤになり、ついに酒をやめたが、なんと世界は消滅しなかった。

それがただもう驚きで、その驚きの醒めやらぬうち、俺は筆を執る。

Amebaでブログを始めよう!


「じゃあ、もうワンテイクいってみようか」そんな風にまるで軽いプロデューサーのような調子で、当ブログは「はてなダイアリー」への移行が決定した。
のほほんとした日記帳のブログが毎日のように沸きあがり、まるで腫れ物にでも触るかのようにそっとペタがつく、そんなアメーバブログで安穏とするのではなく、はてブ民による地獄のような叩きに遭って揉まれてこいというわけだ。
PHP新書「パーソナリティ障害」によれば、

・少しの回避性パーソナリティ障害
・強い演技性および自己愛性パーソナリティ障害
・強迫性
パーソナリティ障害

の傾向があるという私にとって、主の人格をへし折るかのようなはてブ民の物言いは、VIPなど問題にならないほど恐ろしい。だが叩かれもしなかったとすれば結果はもっと酷いことになるだろう。
まぁ「どんなに打ちのめされても」やってみるしかあるまい。
今朝起きるとすでにブログデータは移行が完了していた。
はてなへは移行しない唯一のエントリーをもって、アメーバブログ「新宿メロドラマ」の更新を終える。
この物語の続きは、はてなダイアリー・「新宿メロドラマ」へ続く。
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ありがとう、アメーバブログ。ありがとう、ランドルフィ


(動画はアルバム「どんなに打ちのめされても」(1993年)所収、橘いづみ「東京発」)
うさぎふらすこが「株式会社うさぎふらすこ 」を名乗って1ヶ月が経った。
この間あったことといえば、人の悩みを顕微鏡でのぞくようにためつすがめつする「BUZZOO!知恵袋 」がリリースされたり、偽装になっているのかなっていないのか分からんTwitterクライアント「tweegle 」が上位でBUZZられてサーバが不安定になったり、「エクセル風2chビューワ 」で2chの書き込みをみた人が「消してくれ!」と云ってきたりと、まぁそれなりに多彩ではあった。
設立2日目で奇跡的なご招待に預かった「異業種交流会FLAT 」では座長のプレゼンテーションが冴え渡り、会場を笑いと困惑の渦に巻き込んだことも付け加えねばならない。もっとも私は会場の参加者に、「・・・・宗教団体?」と尋ねられたのが一番の思い出になった。

ところで座長がうさぎふらすこ社の社是を「バカとエロで世界を再構築したい。」に定めた。
社是なんだから「したい。」ではなく「する。」と云い切ればよいのだろうが、そこは昔、よしもとばななが「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う」と書いて、「お前が好きなんだから『思う』じゃないだろ!」と激しい怒りを買ったのと同種のセンスなのだと「思う」。
さてインターネットがますますややこしい場所になってきて、ちょっと前なら「匿名性により凶暴化した個人の自我が暴力的な言葉で人の心を踏みにじり・・・・」などとえらくもてはやされた「匿名性」が実際問題、ファンタジーに過ぎないということが明らかになるとともに、ネットは公序良俗にまつわる自主規制の類によって整地されつつある。
「○○殺す」と書いたとたんに「通報した」「アウッ!アウアウッ!」「記念パピコ」などと囃され、実際問題プロバイダによる情報開示の果て、逮捕に至った例は枚挙に暇がないし、最近では風俗ブログなども削除されることがある(何故だ!?)ようだ。
しかしだいたいにおいて「自主規制」というやつは過剰だし、それはそもそも自主規制というのは見識や分別のないやつが云い出すことだからそうなるのだ。浜田幸一先生も孫正義社長も、ただ面白がるだけで何も云わずに「Twit-tshirts
を買ってくれた。
大人というのは、「だいたいOK」かどうかが分かっているものなのだ。そうでない輩の手に、このままネット社会を引き渡してしまうのはあまりにも惜しい。
「カッパ発見!」をテレビで報道するのは問題だが東スポなら年中そんなことを云っているし、コンビニ売りのムック本の世界に至っては、ほぼそれで食っているような人もいたりするわけだが誰も気にしない。思うにネットなどは情報発信の容易さから云えば、それを更に3段ぐらい下品にしたメディアに過ぎない。公序良俗が聞いてあきれる。
「かあちゃん、パジャマで出歩くのやめてくれよ」
「いいじゃない、近所なんだから」
いいんである。
スーツでカバンを提げ、渋谷か六本木あたりをうろつけば「IT系」だと思いこんでいるような愚か者が、この「ご近所性」を圧殺しようとしている。
抵抗する気はない。だが頭の悪い奴は、痛い目にあわせてやらなければならない。
「バカとエロで世界を再構築したい。」
どうせバカでエロなんだから、別にいいじゃない。
せめてそちらへ向けて窓を開いておかなければ、我々は短い人生の間に「ウェブ」の次の段階を拝むことは叶わないだろう。

新宿メロドラマ。-晴明神社
列をなしてしゃがみ込んだ修学旅行生は野菜畑のようにコンコースを埋め尽くしていた。
京都はこの季節もまた修学旅行シーズンのようだ。若い娘が好きでたまらない銀河さんの視線を遮りながら、そそくさと駅を出る。
暑い。
梅雨が明けると京都の熱気はまるで霧か靄のように、手を伸ばせば触れるのではないかと思うほど濃い空気となってすべての街角にのしかかる。
いまはまだそれほどではないが、しかしこの肌にまとわりつくような暑さはやはり、京都だ。
駅前からタクシーに乗り、行き先を告げた。
「タバコは大丈夫ですか」と銀河さんがドライバーに尋ねると、驚いたことにオーケーだ。
東京ではタクシーが全面禁煙になって久しいが、大阪などへ行くと「ただでさえこの不景気やのに、そないなこと云うとったら乗る人なんかいやしませんがな」ということらしい。
それはわかるが、しかしそういうことを云っているからいつまで経っても「だから大阪は・・・」と云われ続けるのではないか。
まぁいい。それだけ大阪の景況には余裕がないということだ。何事も東京が基準だと思ってはいけない。

一条戻り橋は御所の東北、いわゆる鬼門にある。
安倍晴明はそれと告げることもなくこの近くに住まい、平安京に向けて口を開けんとする魔境に向かい合って暮らしていたのだ。
晴明が式神を封じ、通る人のことを晴明に知らせたり、あるいはこれを渡る人に晴明の言葉を伝えさせたりした一条戻り橋は「いくはかえるの橋」と呼ばわれ、いまでも婚礼や葬儀の列はこの橋を避けるのだと云う。行けば戻ってはならない世界が、ある。
タクシーを降りると、話に聞いた通り実に小さな石の鳥居が両隣を普通の街並みに挟まれて立っていた。
班行動中の修学旅行生がひっきりなしに出入りする境内は、まさに猫の額に匹敵するほどの狭さと感じられる。
しかし飄々と、華美とは無縁の日々を暮らした晴明のことを思えば、この神社こそ彼を祀るにふさわしいスポットはあるまい。
14時が近づき、陽の光はいっそう強さを増していた。だらだらと流れる汗が蒸発していくのすら感じられるようだ。
祈祷の予約がある旨を巫女に伝えて受付を済ませる。
時間になると宮司が境内の砂利へ出てきて名を呼ばわった。
本殿の脇にある木戸からなかへ入り、賽銭をあげては礼拝を済ませていく観光客に背を向けて靴を脱ぐと本殿にあがる。
本殿の床に敷かれたゴザは5人も座れば肩が触れるほどの幅しかなかったが、僕のほかには夫婦とおぼしき男女が一組来ただけで、この時間に祈祷をあげてもらうのはどうやらこれでみんなということらしかった。
ゴザの端に背筋を伸ばして正座する。反対側の端に座った夫婦もDQNな外見によらず、不慣れなりに身のこなしは神妙だ。我々三人はいいチームを組めそうだった。

本殿の造りは変わっている。
両脇は壁がなく庭に抜けており、建物のなかにいるというよりは祭壇に向かってのびる短い橋のうえにいるような、それこそホワイトベースの艦橋(ブリッジ)にいるかのような不思議なパノラマを視界の両端に感じる。
本殿を囲む庭は境内とは区切られた敷地の奥に位置しており、丁寧に植え込まれた数々の緑にはよく手が入っているのが素人目にも見て取れた。心がすっと落ち着いていく。
そして僕はゾーンに入った。

*     *     *     *     *

梅雨を迎える直前のこの時期に、夕方の鴨川べりで時を過ごすのは何にも代え難い。
6時を回ると、あの鬱陶しい暑気は嘘のように引いていき、火照った身体に涼やかな風が吹き始める。夕暮れ、アジサイ色に染まった街が、完全に日が暮れるまでのたっぷり二時間、その姿を留めてくれるのがこの時期だ。
銀河さんと僕は鴨川沿いの先斗町に並ぶ店の一軒、その店の奥から河原へせり出した、いわゆる で鱧を待ちながら日本酒をやっていた。
「京都・・・・最高やなぁ」
一杯空けるごとに銀河さんがつぶやくのも無理はない。明日が梅雨入りなら、我々はまさに京都の、最高の季節に間に合ったわけだ。
もともと晴明神社に毎年詣でていたのは銀河さんだ。だが今回は僕に乞われて付き添ってくれただけで、祈祷の神殿にもあがっていない。週末を潰して付き合ってくれた銀河さんにお礼をするための一席であった。
もともと銀河さんと僕とは嫌というほど一緒に酒を飲んできた仲だったが、僕が身体を壊してからこっち、すっかりご無沙汰になってしまった。酒も久しぶりなら銀河さんとこうして話すのも久しぶりだった。

鱧しゃぶが終わり、床から見える景色もすっかり暗くなった頃、夢の話になった。
焼鳥屋がやりてぇなぁという僕に、やりましょうよと銀河さんはこたえてくれる。
やりたい仕事もあるし、焼鳥屋だってやってみたい。それからやっぱり小説を、僕は書けるようになりたいなぁ。ねぇ銀河さん、大人にだって夢があっていいじゃないですか、ね。
あったりまえじゃないですかと銀河さんが云う。十も歳の離れた銀河さんがあったりまえのことを教えてくれるのはいつものことだった。何か昔のことのように思い出した。
「京都に住みたいなぁ」
また銀河さんが云う。ええ、と僕も同意した。「なんだか高層ビルには疲れましたね」。
こんなにシンプルな言葉が自分の口から出たことに、僕は思わずほっとしていた。

*     *     *     *     *

もはや仕えるという気持ちすらなくなった・・・・・仕えるとはそこにわずかだが自由意思があってこその言葉だ。
平安京に高まる不吉な空気がついに内裏の炎上という悲劇を生んだあと、新たな都を守護するため龍に自らの身体を奪うことを許した晴明はつぶやく。
だがその少しまえ、おぬしは死ぬのがこわくないのかと尋ねる親友・博雅に、晴明はこうも応えていた。

しかし覚悟はできているのだよ。つまり常にいつでも何事に立ち向かう時でもおれの準備はできているということなのだ・・・それがおれの礼儀なのだ・・・何へ対してのか・・・おれに生命を与えたものとおれの生命を奪いに来るものへの礼儀なのだ。

そう、礼儀もそうだ。礼儀もそう、奉仕もそう。
自由な意思をもたないものには礼儀も奉仕もない。そこには何の価値もない。
礼儀を尽くすこと、奉仕することは隷属とは違う。それは確かな自由意思をもった者だけに許される、誇り高い行為なのだ。そして、夢をみることも。
仕えるのもよい、従うのもよい。だが何よりもまず己の主であれと晴明が云っていた。それがいかなる力を身に秘めようと、身分は朝廷に仕える小役人に過ぎなかった陰陽師の気構えだったのだ。

ふらふらともつれ合って出た先斗町は夜の顔だった。
僕は身体ひとつ分しか幅のない路地へ銀河さんを導いた。木屋町へ抜ける手前の屋根裏に19年やっているバーがある。
「京都、ええなぁ」うしろを歩きながら銀河さんがうなるのが聞こえた。
熱することなく、されど誠実であることには妥協せず。
三時間にわたり思いの丈を語り尽くしたあと、自分のMPがついに0になったのを感じた。
呪文が全部非アクティブになり、選択できない。
予兆はあった。二日後、かねて祈祷の予約をしてあった京都・晴明神社へ向け、定番の「鶏づくし」とお茶を一本さげて新幹線はのぞみ号へ乗り込んだ。
新宿メロドラマ。-陰陽師
映画「陰陽師 」およびその続編でブームを呼んだ安倍晴明の物語は、夢枕獏による同名の小説 を土台にしており、それは岡野玲子のやはり同名のコミック「陰陽師 」もまた同様である。
小説を読んでいる時間はないため、ブックオフでコミック12冊を買い入れた。
安倍晴明は平安京の都に現れ政府・貴族御用達となった伝説的な呪術師である。これが念仏を唱えるだけの男であったならただの坊主で片付けられていたのであろうが、そうではなく、「陰陽寮」と呼ばれる役所に勤めるれっきとした技官であったというから、いとあやしである。
式神を思いのままにあやつり、都に災厄をもたらす数々の「鬼」に恐れもなさずこれを祓う彼は、藤原道長をはじめとする当時の権力者からも篤い信頼を集めた。幼い頃より非凡な才能をみせたと伝えられる晴明のイメージは、彼の力を疑う貴族に「そなたの式神をもちいてあの蟇蛙を殺してみよ」と挑発されて答えた有名な言葉に集約される。
「殺すことはできても生き返らせる術を知りませんので、罪なことをおっしゃるな」。
この非常にクールな、しかし自信に満ちた極めて厨二的な余裕、浮世離れした涼しげなキャラクターこそが彼を神がかり的なヒーローへ祭りあげたのに違いない。結局彼は近くにあった柳の葉をちぎりとると、蟇蛙に向けてすっと投げ出す。すると蟇蛙は突然襲いかかった柳の葉に押しつぶされて死んでしまうのだ。
また、式神をつかって家の戸口の上げ下ろしをさせていたなどという、「超能力」をなんとも思わない姿もまた憎らしいものである。
この何者も手を出せないアンタッチャブルな陰陽師の霊験にあやかり、憑きものを落として出直したいという藁をもすがるような思いが私に大判のコミックのページを繰らせた。私はヒーローを渇求していたのだ。

ここですでに認めておかなければならないが、私が購った「陰陽師」は白泉社のコミックであり、それが少女漫画界のトヨタかソニーみたいな大御所であることを私は知っていた。
冒頭から脇役の座をかため始めた源博雅と晴明の距離が妙に近いこと、博雅が晴明のもつ不思議な力に抱くイノセントな感動や、そんな博雅に晴明が抱いているらしい愛しさに目を瞑り、あらぬ展開が生まれぬ事ばかりを祈って私はストーリーを追い、伝記にもとづく晴明の所為に驚き、感銘を受けた。

しかし全13巻の話もなかばを過ぎた頃、突然晴明は兄弟子に犯されたのであった。
アンタッチャブルな私のヒーローはこうして、文字通りケツの穴までタッチャブルな男になってしまった。
「殺すことはできても生き返らせる術を知りませんので、罪なことをおっしゃるな」などと粋なセリフを吐きながら、それでも自分の力にできることはすべて過たず、やる。そんな私のヒーローは「これも修行だと思って・・・」と唇を噛みながら、二流の兄弟子にケツを差し出していた。

悲しすぎた。
これは当然漫画家・岡野氏による創作であり、(おそらく)原作にすら登場しなかった設定であると信じたいが、しかしいまから安倍晴明の力に頼ろうとしている私へのはなむけとしてはあんまりであった。
まだ独り立ちするまえの若かりし頃のことであるとか、世の無常を理として受け容れた晴明が、自分自身の運命とは闘うのではなく、向き合うのだと決めていたからだとか、いろいろ慰め方はあろうが、それにしてもあまりにわかりやすい隷属のポーズで描かれた晴明の姿は、ただただショックであった。

昼前の東京駅で落ち合った銀河さんはもう5年も前から晴明神社に詣でているくせに、かねてから「祈祷」と「亀頭」をかけて喜んでいるような人なので、私のこの傷心に、
「しかしオンナっちゅうのは、エロいですね~」
としか答えず、まったくとりあってくれる様子がなかった。

明日は京都も雨だという。
梅雨入り前最後の暑気がのしかかる都に向けて、我々はのぞみ号へ乗り込んだのである。
いわゆるところの通勤ラッシュを受けて、JR赤羽駅は夕方の6時から7時半のわずか1時間半を限りに、これでもかというほどの人混みにあふれかえる。
ひょっとしたら埼玉かと思われがちなへんぴな土地に果たしてこれほどの大都会が存在したのかと、初めて訪れた人をあざむく赤羽の、これがハイライトだ。
そんな赤羽にとある部長を、私とPさんは迎えた。

梅雨入りだと云われているのにしぶといほどの、うだるような暑さの一日だった。
駅前通から路地を入るとそこに真味亭 がある。
雀荘にあがるような暗い階段の先に半開きの扉があった。低い天井の下、6卓40席ほどの広めのテーブルがひしめきあっている。
「チャプチェ、まずいですよ」昨日下見に訪れた私が忠告を発したが、それでも我々はチャプチェをとった。

ビールが終わるのを待ちきれず取り寄せたチャミスルをグラスに盛り始めると、部長が悲嘆の声を挙げた。
部長の勤務先では半期に一度、社員の手によって上司の評価がくだされる。
このたびの評価において部長のランクは、いわばDマイナス。「氏ね」と云われているぞと知らされて、もはややりきれぬと部長はうなだれた。

その評価、つまりアンケートというのは記名か、あるいは匿名かと私は問うた。
曰く記名であるということであった。
それは部長、と私は云う。部下の誠意と真摯さをこそ誇るべきではありませんかと。

言葉は名を持たねばならない。
言葉は常に、ある人格の手によりなされ、その舌によって語られねばならぬ。
名を匿い、主たるべき人格から離れた言葉は、即ち「魔」となり、ひとりでに人を呪いはじめる。
そうなるとそれを発した人間ももはや主ではないから、誰にも止めることができなくなるのだ。
高潔で、何かを破壊し、何かを創造することができるのは、それを発した人間が名をしたためた言葉だけだ。
「あなたの部下は高潔だ。そしてあなたの組織は、いまもまだ生きていますよ」

気がつくと、最近始めたというサムギョプサルをテーブルのうえでやっている。
タレのない焼肉みたいでどうにも気に入らないのだが、「タレがないので煙が少なく、排煙装置が要らない」のだとPさんに教えられ、それはそれはと感心する。

韓国伝統家庭料理・韓楽 」は押しも押されぬ赤羽の目抜き通り、大「LaLaガーデン」アーケード街を左に折れた先の、小さなオフィスビルやらワンルームマンションやらが建て込んだ一角にあった。
LaLaガーデンからはほんの50mばかり入っただけだが、そこは元々にぎわっているというほどでもない赤羽だ。周辺の灯りはすっかり消え、人通りも途絶えたなかぽつりと営業しているのだから、さてはノーゲストかと疑いながら店へ入ると、それでも3組の客がテーブルについて小さなテレビでW杯の韓国戦を観ながら野球の話をしていた。

店内はあたかも九十九里あたりのシーサイド・カフェ。
海が好きで仕方のない旦那に引っ張られて海沿いに住んではみたがやることもなく、旦那は旦那で仕事なんだか遊びなんだが毎日マリンショップの手伝いにでかけていないものだから、一念発起で実家に泣きつき、やってみました喫茶店、といった風情のやたらブラックとシルバーが映える内装だ。
綺麗だが年齢不詳でカネのためなら何でもやりそうなママが注文をとると、カーナビほどのテレビ画面にかじりついていた赤いシャツのおじさんがそそくさとビールをテーブルに並べ、またテレビの前へ戻っていった。
チャプチェはゴマ油に塩こしょうが随分正直に効いている、ただの春雨であった。
韓国は前半を終えて2-1とアルゼンチンを相手に善戦している。
酒にあまり強くない部長は、連れてきた部下の男にフェラチオしろと迫り始めた。さきほどは深刻な話の流れでなまじ忠誠を誓った部下は本気で困っている。彼は部長の評価をいったい何としたのだろうか。
チャミスルを空け、勘定を済ませる。
真っ暗な路地に出ると後ろから「カムサハムニダ!」と呼ぶママの声がした。

その路地を一本駅の方へ戻ると雑居ビルの1階に「韓国料理 ヨンジゴンジ 」がある。
ドアを開けるとその瞬間にわかるのは、ここがもともとカウンター6席、テーブル2卓の典型的なカラオケスナックだったことだ。
いまはカウンターのスツールをとっぱらい、鰻の寝床のような店内に無理矢理テーブルを5つ入れているが、天井が高く照明も屈託がないため、その狭苦しさはむしろ馴染みになったような親近感を持たせてくれる、たとえば都心の沖縄料理屋みたいな雰囲気だ。
いきなり韓国語で話しかけてきた若いママをPさんが何か云っていなしている。
「なんて云ったの?」と訊くと「2対1、2対1って云ってます」とPさんが苦笑する。
カウンターのなかだけの狭い厨房のうえでテレビがまたサッカーの中継をやっていて、こちらではどの客もみなそれに釘付けであった。

店は狭いが使い方にはまるで無駄がなく、狭くて丸見えの厨房さえ気にしなければ賃料との戦いはたやすいであろう。
「こりゃいいんじゃないのか?」とつぶやく僕に「個人でやるならこの店は鉄板ですよ」とPさんも同意した。
「個人でやるなら」という言葉の意味がよくわからない。集団で店をやろうとしているのだろうか。
チャプチェの味はまるっきりめんつゆか焼肉のタレで、部長とPさんがブーイングを挙げる。プルコギは完全にすき焼きだった。
しかしメニューはほんの20品ほどしかなく、それもまた身軽な経営スタイルを反映している。
こういう店だと思えばそれはたいした徹底ぶりだった。

こんなに狭い店なのにPさんの席の後ろには何故か二層式のでかい洗濯機が置かれている。
なんであんなものがと問うと、あれは洗濯機ではなくキムチ冷蔵庫だと教えてくれた。
そういえば真味亭でトイレに行くときにも同じようなものを見かけた。こういうことは足を使わないとわからない。
アルゼンチンが続けざまに2点を入れて試合を決める。
部長はまだフェラチオをしろと云っている。部下も限界が近くなってきて、妙なところを掻き始めたりしたので、潮時だと判断して勘定を頼んだ。気がつくと試合中にもかかわらずテレビはすでに消されてあった。

店を出た。
ようやく、らしき店に出会った。
だがまだまだ、たかが6店回っただけだ。
「次回は高円寺にしましょう」と云うと、部長が是非と叫んだ。Pさんは何かを深く考えている。

東京は明日からまた、雨になる。