整合性のあるお考えだと思います。

 


 

 

平和条約に署名する吉田茂首席全権と全権委員

 

 

なぜ、アメリカとの単独講和という言い方だったのでしょうか?

 

実際には、アメリカ、イギリス、フランス、フィリピン、ベトナムなどなど 49ヶ国との講和を実現したのです。決してアメリカとの単独ではありません。単独講和という言い方をすると、敗戦国、大日本帝國 (日本国) の政府に都合のいいことでもあったのでしょうか?

 

 

 

無条件降伏からの講和です。一体 何があったのでしょう。当時は、第二次世界大戦終結から すでに冷戦期に入りつつありました。実際、日本の ある大物戦犯容疑者の手帳に 「冷戦 (Cold War)」 の文字が書かれていたのは有名な話です。予見していたのです。大戦の敗戦国 日本だけなら講和で済む話ですが、戦後処理も手に付かないまま 西側か、東側か、の選択の問題が持ち上がったのです。本来、武士・もののふ の考え方なら明らかに 「東側」 です。自由よりも ”管理社会” です。ちなみに 共産党とは管理社会です。しかし、恐らく 日本国は、今まで 「西側」「東側」 を宣言したことは一度もありません。ここに 「単独講和という言い方」 の所以があると思います。決して 西側諸国と講和をした訳ではない という印象を ”日本国内” に植えつけたかった、これが 「敗戦・戦後の政治」 に必要だったのです。もし、西側に入った日本だと 当時の諸政党後 (のち) の日本社会党、日本共産党の立場がなくなる訳です。民主主義の敵 という訳ですからねぇ。

 

いいですか? アメリカとの単独講和と言ったのは 決して 諸政党後の日本社会党や日本共産党ではありません。後に、大きな政党、”あの巨大政党” を結党する連中が言ったのです。ここが 「みそ」 です。1945年から1955年までの10年間、そして 以降55年体制が始まる訳ですが、その構図は、反米主義 対 (VS) あの巨大政党です。そもそも 大日本帝國政府は、アメリカに戦争を仕掛けた側です。分かりますか? その (旧) 体制側が あの巨大政党を結党し、長く政権の座に居続けた訳です。ここで言う反米主義とは、諸政党後の日本社会党であり、日本共産党です。アメリカに戦争を仕掛け負けた (旧) 体制側がまんまと政権を掌握し、それを追及する側が反米主義だ ということです。意味が分かりますかねぇ?(笑) そこには、実は、反米主義しか居ないという事です。なぜ、あの巨大政党が反米主義に見えないのか、それが 「アメリカとの単独講和という言い方」 なのです。日本社会党や日本共産党の立場も考えながら 自分たち巨大政党が 「日米関係の利権」 を独り占めできるように長い時間を掛け国内の政治情勢を意図的に作ってしまったのです。戦争責任も取らず こんな事を考えていた訳です。

 

現在の与党 対 (VS) 野党というのは、こういう経緯で出来上がったモノですが、すでに 野党が野党でない、野党の顔をした与党だ ということがバレている今、素顔を見られた 与党 は大変危険な状態にあります。立法権、行政権、司法権を掌握し 権力を生活の糧にし 恐らく戦争も視野に入れています。彼らは 本物の 「人間の〇〇」 であり、人殺しです。上記のように、今の政治は 国民の無関心ではありません。丸メガネの葉巻をくわえた (元) 外務官僚の 「人間の〇〇」 とその仲間たちが作り上げた政治です。戦火で焼け野原になった街、黒焦げの子女の死体、一家離散、親を失った子供たちが困って駅に屯する現状を放置し、敗戦・戦後の政治もいかに食い物にするか、その為には、彼らは責任も取らずに そんな事を考え実行し生き延びたのです。

 

 

 

今こそ、敗戦・戦後の闇 (やみ) を見直し考えるべきです。それが、ホントの ”次の世代へ” の為になるのです。