連日のテレビでも報道されていますが、日本はやはり、ストーカーが外国に比べても多いのでは?
と思うようになりました。
本当に残忍な殺意にも結びつくレベルのストーカーによる事件が多発しています。
警察による規制が出来たことにより、むしろ火に油を注ぐ結果となっているようにさえ感じます。
私も警察沙汰にまでは行きませんが、色々経験しましたので!?
本気で掘り下げてみることにしました。
まず、彼らが相手に持ち合わせる感情からです。
ストーカーになるのだから、それは純粋な『愛』といえるものでしょうか?
答えは『No!』完全な『自己愛』です。
『愛』とは、対義語を調べると『無関心』です。
日本人がここまで離婚率が高くなる前に、離婚したアメリカ人に『なぜアメリカ人は神の前で愛を誓うのにすぐに離婚するんだ?』と聞いた人がいたそうです。
すると、聞かれた人は当然のように『神の前で誓ったからこそ、『愛』がなくなったら別れるんだ。』と言われて納得したのだそうです。
愛の対義語は無関心・・・だからこそ、愛がなくなったら、すぱ~っと別れる事が可能なのです。
ここで・・・頭の中で色々なデータが結びつきました。
私がこれまで、あらゆる場所でストーカーとも言える人たちに追っかけ回されてきた事。
その誰もが、私が嫌がって、ほかの人を通して離れてくれるよう頼んだとたん、まるで親の敵のように憎悪を向けて睨みつけてくるようになった事。
これは、私に向けられた執着が、間違えても、私への『愛』などでは無いという事です。
すると・・・憎悪から見たほうが早いと気づきました。
調べると、な~るほど『憎悪』の対義語は『慈しみ』でした。
慈しむとは・・かわいがること。慈愛。いつくしみ。親が子に持つような深い愛をさすようです。
恋愛のように未来に別れがあるようなものではなく、何があっても護り許すのが親の愛?
私が追い回されていたストーカーの人たちは、愛ではなく、慈しみの方を求めていたのだということが何となく解ってきました。
それが拒絶されたので、逆上して一気に憎悪の炎を燃やしました。
これ・・・私にとっては大変迷惑な話ですよ。
とは言え、どこかにそれらを察知して触れ合った部分があったから、はるか向こうからも、彼らは私をめがけて一目散に突進して来たのです。
この辺から本格的な掘り下げをしていけば、長年の苦しみからも開放されるような気がします。
『慈しみ』について考えました。
すると、私がなぜ?彼らのターゲットに選ばれたのかが解りました。
それは、私が知る限り、彼らは『慈しみ』の意味を調べる限り、親のような愛なのですが、それを受け取ってこなかった人たちでした。
つまり、自分が本来受け取るべく親や家族からの愛情を、正しく受け取ることが出来ないから、外部にそれを求めていただけなのです。
で、私もまた・・・ここだけは認めます。
『犬神家』のような家でした。間違えても『家族愛』など微塵もありませんでした。
でも、家族に求めることが出来ないものを、私は他人に求めたことはありません。
唯一求めるのは・・・わんちゃん、猫ちゃんたちぐらいのものですよ~
彼らは何の見返りもなく、癒してくれますからね~(^-^)
それでも何故引き合うのか?と言うと・・・
やはり、その下にある『慈しみ』を受けたことがない者同士、引き合ってしまったのでしょう。
学生時代、バイト先で、先輩のパート主婦2人と食事をしていました。
何と・・・二人共、夫の暴力を受けていました。
でも、驚いたのはそのあとの言葉・。。
二人が口を揃えて『男は女を殴るものよ』と断言して、受け入れていたのでした。
私は2対1で叶うわけもないので、黙っていました。
よく聞くと・・・二人共、父親もDVだったのです。だから当たり前だと思っているようでした。
常識とは人によって違います。でも、見事に引き合っているのは確かです。
この人たちは、受け入れているから夫も安心しているのです。
これが逃げたらどうなります~
夫は殴る相手がいないとこまるので、血眼になって探すでしょう。
彼らが求めているのは。。。サウンドバックになってくれる相手です。
これは今解消しないと一生付きまとわれることになる・・・しばらく本気で取り組みます。
まだ『そんな親を選んだのも自分、自分が悪いんだ』とどこまでも呪いのように言う人が多いのは知ってます。
それについても聞いたり調べてみました。
また後日。
ちなみに、愛の対義語が無関心という事なら、私は『愛』を選びます。
後腐れなさそうですからね~