私の「あがり症」の正体 | 『私にとってスペシャルな人生』を生きる

『私にとってスペシャルな人生』を生きる

せっかく産まれてきたのだから、自分にとって最高だと思える人生にしたい‼︎





巷に溢れる「引き寄せの法則」「宇宙の法則」を実践したら、果たしていったいどうなるのか??  



40歳から私の人生をかけた実験&実践をはじめました♪

私が普段、どんな意識で今の40歳まで生きてきたのかが、より明確にわかってきた。





こんな事、人に知られるのが怖くて

誰にも言った事がないけれど




私は、人から注目されるのがとっっても苦手で、注目されると凄く萎縮してしまう。

異常に人の目を気にしてカチコチに緊張してしまう。

極度のあがり症でもある。




人見知りでもあって、はじめましての人と接する時なんかは「どうしよどうしよ。どんな風に接したら良いんだろあせる」って、頭の中がプチパニックになっている。




友達と2人で会う時も「一緒にいてつまらないと思われないようにしなくちゃあせる相手を楽しませなくちゃ」って、へんにプレッシャーを感じてしまって、心が休まらない。





人と接する時は、いつも気が張って心が休まらないのだ。





だから、私は1人が1番落ち着く。何も気にせずに、ありのままの私で居られるから。

自由と解放感、安心感を感じられるから。





これは、心療内科を受診すれば

社会不安障害と言われる症状。

これに私はずーっと悩まされてきた。




やりたい事がやりたいように出来なかったから。

本当はやりたい事があっても、人前に出たり、人目につくことが怖すぎて、その可能性がある選択肢は全て避けていたから。





人前に出る事、目立つ事は私にとって1番の恐怖。




でもそれだと、自分の力を思いっきり出せない。

全力で挑戦する事が出来なかった。

全力で物事に没頭する事が出来なかった。

目立ってしまうとまずいから。目立ってしまう事が何よりこわいから。





そんな自分から脱却したいと思って、「行動!行動!」と、新しい事に挑戦した事はあった。





挑戦した結果、自分のやりたい事に真っ直ぐに全力で突き進みたい気持ちと、全身を襲う恐怖心が、まるでアクセルとブレーキのようになって心が壊れてしまった。 

症状がさらに悪化してしまったのだ。毎日恐怖で頭がいっぱいになって身動きが取れなくなってしまった。




そして、

「やっぱり私には無理なんだ」と、更に自信を無くしてしまった。 

本当にやりたい事が出来ない辛さ。自分の力を出せない辛さ。不甲斐なさ。恥ずかしさ。自己否定。

もう死んでしまいたいと何度も思った。





勇気を出して挑戦したのに、やっぱり私はだめなんだ。みんなが出来る事が、私には出来ないんだ。





更に強化された、あがり症とセルフイメージの低さが残った。





そんな私を、とてもかっこ悪いと思った。





そんな自分のかっこ悪さを隠して生きてきた。 

誰にもバレないように、自分を繕って。





もしバレたら、みんなから見下され、しょぼい奴認定されて、無下に扱われると思っていたから。

(イジメを受けた時と同じ感覚)

自分のしょぼさを隠してきた。 隠せば隠す程、恐怖心は育っていった。





ここが、私の中の1番のブレーキとなっていて

そこに莫大なエネルギーを費やしてきた。




私が人見知りなのも、人からどう思われるかを過剰に気にしていたからだ。

しょぼい自分がバレるのが怖くて不安で焦る。

しょぼさを隠して、人からの好感を得る為に、少しでも素敵な自分を頑張らないといけないから疲れる。




私は自分の事を、人が苦手でコミュニケーション能力が低い人間なんだと思っていた。




でも、私の本音がわかったの。

本当は人と一緒にいるのも大好き。人が好き。

本当は大好きなんだけれど、不安でいっぱいで、心が休まらなくて、疲れてしまうから苦手なだけ。





それは、

私の性格の問題ではなくて私の意識の問題」だったんだ。




私の意識が私の事を、不安でいっぱいで、心が休まらなくて、疲れさせていたんだ。




ここまで書いた私の恐怖や不安は、全て私の意識から派生したもの。





私の意識とは、

⚫︎私が私の事をどんな存在だと思っているのか(セルフイメージ)

⚫︎私が世界を(世の中)をどんな世界だと思っているのか




その2つが大きくて

特に大切なのが1つ目の『セルフイメージ』ビックリマーク




私が人の目を異常に気にするのも、極度のあがり症なのも、



私は自分を「価値のない存在」だと思っていたから。

そして「世の中はこわい、人はこわい」と思っていたから。



自分の中でそう認識していたから。




それは、小学校の頃のイジメの経験↓や



父に言われた言葉、兄に言われた言葉、私の心が傷ついた言葉や経験を、ひとつひとつ自分の中に取り入れて、自分で大きく育て上げた概念。





傷ついた言葉や経験から私は学んでいった。

いかに自分が駄目な人間で、いかに自分が恥ずかしい人間なのかを。

私が駄目だから、私が恥ずかしい人間だからこんな事を言われ、こんな目にあうんだと思っていた。




でも本当は、みんなが優れていて、私が駄目なんじゃなくて、みんな自分のその時の気分で突発的に発言しただけ。 きっと、その発言を覚えてもいない。





だからね、そんな言葉を真剣に受け止めて、自分の中に取り入れなくて良かったの。





自分にとって本当に思える事、自分が納得できる事だけを自分の中に取り入れたら良かったの。

みんなの言葉をいちいち尊厳に受け止めて、取り入れていたら、自分の中がぐちゃぐちゃになって、本当の自分がわからなくなっちゃうよね。 

それは、もう自分ではなくて他人の集合体だよね。




私が正にそうだった。私は私がわからなかった。

だから、いつも外に正解があるんだと思ってた。外から学ぶ事に必死だった。

外の正解と自分が違っていたら自分を否定して、少しでも近づけるように、自分を変えることに必死だった。




でも本当は




自分の中に正解があるんだよね。私には私だけの正解がある。

みんな一人一人違ってて、同じ人なんていなくて、価値観も好みも違くて、みんな自分にとっての正解がある。




そんな事誰も教えてくれないし、そんな事知りもせずに、私はせっせと私のセルフイメージを作り上げた。




私がせっせと作りたげた「価値のない存在」という強力な概念は、私が生きていく上で強力な力を発揮した。




私の行動、言動、態度、仕草、雰囲気、全てに影響した。 私の人格、私の人生を作ったとも言える。




そして「価値のない存在」という概念は、大きな罪悪感を伴うのだとわかった。




注目されると「こんな私なんかが、ごめんなさい」

人前に立つと「こんな私なんかが、でしゃばってごめんなさい。誰も私になんて興味ないのに、ごめんなさい。早く引っ込みます」

そんな風に、無意識レベルで感じているのだ。

だから、とっても気分が悪く、居心地は最悪なのだ。




それも、社会的地位の高い人達の前だと顕著になる。




「価値のない存在」から見て「価値のある(価値を持っている)存在」を前にすると、罪悪感がより強調されるのだ。




高学歴、高収入、肩書きのある方、みんなの人気者、人目を引く人、美男美女etc.

そんな人を目の前にすると、自分の価値のなさがより強調されてしまって、罪悪感もより強くなるから、居心地の悪さもより強くなる。

普通の状態ではいられなくなる。



そして

「他人に対してそんな偏見を持った自分は駄目だ!」と、また罪悪感を感じる負のスパイラル。




それをずっと今まで、繰り返し続けてきた。  

それが「私」だと思って生きてきた。

漠然と苦しくて、辛くて……でも何がそうさせているのかなんてわからなかった。




でもね、わかったよ。

何がそうさせているのか。

どうすればいいのか。




やっと、わかったの。



               〜つづく〜