イスから落ちそうになった。
まさか肉腫だったなんて。。。
O田先生は経験豊かな大学病院の教授。
淡々と、ハッキリと、病理検査を説明してくださいました。
そして子宮、卵巣、リンパ節の全摘と、抗がん剤治療を勧められました。
「肉腫は症例数が少ないので、子宮体ガンに準じた治療になります」と言う説明でした。
同じ日に筋腫の手術を受けたゆっきーも、退院1週間後検診に来ていました。
待合室で崩れ落ち、ショックで朦朧としているわたしを、車で送ってくれました。
ゆっきーだって退院1週間で、お腹に同じ生傷を抱えているのに。。。
でも後から思うと、一人で電車で帰ろうとしたら、御茶ノ水駅のホームで、わたしなにをしたかわかりません。
ゆっきーは命の恩人です。
肉腫は症例が少なく、情報がありません。
O田先生は経験豊かな医師ですが、腫瘍科のプロフェッショナルではありません。
腫瘍科のプロフェッショナルを2人、紹介していただき、お話を伺うことになりました。
一人はS大病院のS先生。
彼はK大病院の婦人腫瘍科で経歴を積まれ、S大病院へ異動したばかりでした。
彼はK大病院時代に、わたしと全く同じ子宮間質肉腫low-malignancy の患者を看取ったばかりでした。
S先生「その方は挙児の希望が強く、子宮を温存して、経過を観ていました。最初の1年は調子が良く、そのまま行けるかと思われる程でしたが、1年を過ぎた時に再発し、それからはあっという間でした。すぐに全摘していればと悔やまれます」
生々しいお話に背筋が凍りました。
もう一人はT海大のM先生。
オンコロジーセンター長を務められています。
わたし「全摘すれば、生きられんですか?」
M先生「正直言って(全摘しても、しなくても)かわらない。2年だね。がっはっは!」
2年って、余命2年?!
覚悟はしていたけれど、期限を切られると、恐怖がより現実的に感じられました。
でも言うべきことをハッキリいってくれ、豪傑笑いで笑い飛ばしてくれるM先生を、わたしは気に入りました。
そして腫瘍科の主治医をM先生に決めました。
あと、全摘しても、しなくても、どうせ2年なんだったら、全摘手術はするまい、と決心しました。
2年のうち、どれくらい今までどおりの普通の生活ができ、どれくらいを病室につながれるんだろうと考えました。
S先生のお話を参考にすると、調子が良ければ1年は今までどおり生きられると考えました。
1年は今までどおり、都内で一人暮らししよう。
今まで以上に人生を楽しもう。
そして再発か転移をしたら、その時点で諦めて、故郷の両親の元で最期の時を過ごそう。
それが時点でのわたしの人生設計でした。
2006年が暮れ、2007年が明けた頃のことでした。