まぎらわしいのですが、

実は、

月曜日にKLCで流産手術をしてくださったO医師と、
5年半前にN大病院で子宮筋腫の手術をしてくださったO医師は、
同一人物です。
昨年N大病院を定年退職され、現在は週数回KLCに勤務されています。


なでちゃんの流産手術が、全幅の信頼を寄せるO先生にして頂けたのは、不幸中の幸いでした。


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -


流産手術の最中、N先生に聞きました。


わたし「わたし、また妊娠できますよね?」

お願い、Yesと言って。。。

O医師「病気があるからね。プロゲステロン上げちゃって危険じゃないのかな」

さすがはわたしの肉腫を発見され、はっきり本人に告知してくれたO先生です。
目の前のかわいそうな流産妊婦をむやみに慰めるようなマネはなさらないのでした。

O医師「T海大には通ってるんでしょう?」

わたし「実はその件でご相談があったんです」

わたしは手術台の上で説明しました。
T海大オンコロジーセンター長を務めていたM医師が異動でいらっしゃらなくなったこと。
後任の若い女医さんから「M先生がいなくなったので、都内の大学病院へ移ってはどうか」と勧められたこと。
「どこの病院が良いですか?どなたか信頼できる先生を紹介してもらえませんか?」と頼んだところ「都内のことはわかりません。宛先なしで紹介状を書きますね。施設が整った大学病院ならどこでも良いです」と言われたこと。
この機会に、O先生に転院先を相談して、出産と肉腫の経過観察を同じ病院に統一したいと考えていたこと。


O先生は施術しながら、怒り出しました。

O医師「それは無責任過ぎる!医師は最後まで責任をもって診るべきだ。あなたのような病気を途中から頼まれたって、誰も診たくない。データのあるT海大に戻るべき」

どうやら医学界の常識に外れたことだったようです。

O医師「後でまた話しましょう」

手術が終了し、手術室を後にしました。


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -


1時間安静の後、8F待合室でダンナと合流しました。

短い電話一本で流産を告げられたダンナは、一体何があったのか聞きたがりましたが、うまく話せないわたしがいました。

折良く、O先生が来て下さり、ダンナに流産と手術の説明をしてくれ、助かりました。


O医師「病院を変える件ですが、わたしは反対です」

わたし「T海大の若い先生も悪気があったわけじゃなくて、良かれと思って提案してくださたんだと思います。M先生がいなくなって、ご自身には肉腫の治療経験がなかったんじゃないかと思うんです」

O医師「む~む、親切心かも知れませんね。だとしても、宛先のない紹介状は無責任です。しかしあなたもそんな自信がない医師に診てもらうのはイヤだろう」

わたし「例えば、X大病院やY大病院はいかがでしょうか?」

O医師「ダメ!あなたの病気は難しいんですよ。そこらの大学病院では診てもらえません」

そうなんだ。。。

O医師「T海大オンコロジーセンター長の後任の先生は?」

わたし「HPを見る限り、後任の方は『オンコロジーセンター長代理』と書かれています」

O医師「むむ」

わたし「先月有明のがんセンターにサルコーマセンターが出来たそうなんですが、そこはどうでしょうか?」

O医師「がんセンターなら良いかもしれない。受け入れてもらえるかはわからないけれど、情報があるかもしれないし。紹介状を持って、一度行ってみると良いかもしれない」

わたし「はい、やってみます」

O医師「ところで、体外受精は何回やったの?」

わたし「1回です」

O医師「1回で出来たの?」

わたし「はい」

O医師「45歳だとほとんど妊娠しない。1回でしたなら…妊娠しやすいのかも知れない」

「妊娠しやすい」なんて言われたのは、生まれて初めてでした。

真っ暗闇に一筋の光を見ました。
昨日、T海大から紹介状が届きました。
ホントは産む病院へ出す予定でした。


ちょうど7月1日に有明のがんセンターにサルコーマセンターが設立されたというニュースが8月17日にあり、興味を持っていましたので、そちらへ提出することにしようと考えています。


----- ----- ----- ----- -----


封筒を開いたら、いきなり書類とCD。
通常、封入されていて、患者の目に触れることはありません。


もちろん、せっかくですから、見ちゃえ!





見なきゃよかった。。。


内容は、時系列順に、
1⃣2006年末、N大病院O先生の所見と写真

2⃣2007年、セカンドオピニオン、S大病院S医師の所見

3⃣2007年、セカンドオピニオン、T大病院M医師の所見

4⃣2012年、T大病院T医師の所見


2006年に筋腫だと思って取った15センチのブヨブヨしたグロい肉の塊。


あっちにもこっちにもATH(全摘)の文字。


忘れかけていた命の危険への恐怖が蘇りました。


寒気と鳥肌。。。


----- ----- ----- ----- -----


5年間避け続けてきた全摘と抗がん剤治療。
有明のサルコーマセンターに行けば、また勧められるに違いありません。


絶対にブレない!!!


余命2年と宣告されても、全摘も、一切の薬物治療も断って、自分の生命力を信じて、5年半再発も転移もなく生き抜いたんだもの。


自分の人生は自分で守るしかないのです。
泣くって、ストレス解消によいそうです。
二日間たっぷり泣いて、ぐっすり眠って、三日目の朝はスッキリ。
まさに夢から覚めた感じで、なでちゃんがいたことを思い出すのに、少し間がありました。

悲しみ苦しまないで済むのはラクです。
助かります。


でも晴れ渡った青空を仰いだら、また涙がこみ上げてきました。

なでちゃん…ママはなでちゃんのことを忘れたくないよ。。。


ブランチをとる手を休めて、ダンナに話しました。

わたし「こんなときに不謹慎な表現なんだけど『出産は最大の排泄』って言うでしょ。
O先生に子宮内をきれいにしてもらって、体調がとても良いの。
足首も痛くないし、頭もスッキリ、まさにデトックスしちゃった感じよ。
体調に自信持てたし、掻爬の後は着床率も上がるらしいの。


もし、もう一度チャンスをもらえるなら、もう一度だけチャレンジしたい。


一度流産するとこわくなっちゃう人もいるらしいけど、わたしは手術が痛くなかったから、抵抗もないみたい」

ダンナ「次は痛いかもしれないよ」

わたし「そしたら、もう嫌!って言うかも」

ふたりで笑いました。


そろそろお外に出たくなり、かわいい甥っ子に会いたくて、弟夫婦にメールしました。
すると、甥っ子が保育園で熱を出したと返事がきました。

タクシーに飛び乗って、お迎えダッシュ!

甥っ子は保育園の片隅に座りこみ、おもちゃを片手に、ぐったりうなだれていました。

わたし「おうちに帰ろう」

甥っ子はすっくと立ち上がり、くつ下を握りしめ、昇降口へとぼとぼと歩き始めました。

ごめんね、おばちゃん、まだ抱っこしてあげられないんだよ。
お家まで歩けるかな?

甥っ子はがんばりました。
途中ジュース休憩をとり、なんとか家まで歩き切りました。

幼い甥っ子の帰巣本能に感動。。。


実は甥っ子には死産したお兄ちゃんがいます。

弟夫婦が悲しみを乗り越え、元気な甥っ子が生まれたことは、尊敬に値します。
こわくなかったのかな?

義妹「こわくなかったわけじゃないですよ。
でも出産にはいろんなリスクがあるということは最初から覚悟していました。
流産も、死産も。
心臓がない赤ちゃんが生まれたらどうしよう、とかも考えました。
健康に生まれたって、けがしたり、病気になったり、心配ですし、
今どきはいじめで殺されちゃうんじゃないか、なんて心配もします。
どこまでいっても心配ですよね。
そういう重荷を背負うんだってことは覚悟していました」

親って偉大です。。。
どこまでもどこまでも子どもが心配。
それが無償の愛。


夜。

ダンナ「なでちゃんの供養なんだけど、親父に相談したら、寺に聞いてくれるって。
普通の法事でお経をあげてもらって5万くらいらしいから、3万くらい包むことになるかな。
それくらいのことはしてやりたい」

ありがとう。。。

ダンナはダンナで悲しみを乗り越えるための具体的なアクションを考えてくれていたのでした。

供養か。。。


もしもう一度チャンスをもらえて、妊娠できたら、それはなでちゃんなんだろうか?
それとも別の子?

なでちゃんであってほしい気もするけれど、
さっさと天国か、どこか現世よりもステキなところで、幸せになってほしい気持ちもいっぱいです。
昨日は家でひとりさみしく過ごしました。

ポコズママのHPを見つけて、同じくらいの週数の流産体験をいくつも読みました。
どのママも愛情豊かで、既にママになっていて、「また会いたい」と書いていて、ほんとうに同じ気持ちを代弁してくれているようで、嗚咽しながら読みました。
わたしだけじゃないというのは安心感にもつながりました。

ともちゃんから別件でメールをもらい、返信のついでに流産を報告しました。
去年流産を経験しているともちゃんは、そのときの悲しみをメールに綴ってくれました。
そして「いっぱい泣いて!」と言ってくれました。
泣きました。

気が付くと、おなかに手を当てるのがくせになっていました。
なでちゃんはもういないのに。

気が付くと、夕方16時過ぎまで食事をしていませんでした。
この一か月、なでちゃんのために食べていたので、食べる目的を見失っていました。
冷蔵庫にあるもので簡単な一皿を用意して、川に面した出窓に腰かけて、きれいに晴れ渡った青空を眺めながら食べました。
こんな綺麗な青空、なでちゃんに見せてあげたかった。。。

やがて遠くの低い雲が綺麗なピンク色に染まりました。
こんな綺麗な夕焼け雲、なでちゃんに見せてあげたかった。。。

やがて日がくれ、西新宿の摩天楼が光り始めました。
夜の東京は星空みたいで綺麗でしょ。
こんな綺麗な夜景も、なでちゃんに見せてあげたかった。。。

気が付くと、独り言がくせになっていました。
この一か月、なにかとなでちゃんに話しかけて、感動を共有していました。

なでちゃんは確かにいました。
もういません。
近くにいてくれる気すらしません。

よく亡くなった人のことを「心の中で生き続けている」っていいますが、それってこんなかんじなのかしら。

なでちゃんがいてくれたことによって、変化して、父と母になったダンナとわたしだけが残りました。
空回りする愛情のやりどころがわからず、泣くだけ。

ダンナからは麻雀で遅くなると連絡がありました。
ゆうべはそうなる気はしていました。
なでちゃんが出来てから、早寝早起きを心掛けていたので、ダンナは大好きな麻雀をしていませんでした。
ひさびさに羽を伸ばしておいで。

でもさみしいかった。。。
夢を見ていたような気がします。

思えば、45歳で、病気もあって、妊娠するなんて思ってもいませんでした。

奇跡を体験したんだと思います。



昨夜は(本当は安静なのですが、体調も良かったし、ダンナは疲れて帰って来て食事の仕度はかわいそうだったし、気分も変えたくて)近所のイタリアンでダンナとゆっくりいろいろ話し合いました。
おたがい悲しみはあったけれど、不妊治療に臨むに当たって、胎児に異常が見つかったら、妊娠を中断することは決めていました。
ダンナもわたしも40代半ば。
子供より先に死んでしまうからです。

ダンナ「とは言っても、生まれてくるまで分からない障害もあるだろう。実はその時のことは考えていた。この世でいろんなものを見せてやろう。そして死ぬときは道連れにしよう、って」

ダンナは涙ぐんでいました。

そんなことまで考えていたんだ。。。

ダンナも既に父親になっていたのです。

愛情深い父親に。。。

わたしはこのダンナでよかったと思いました。

あぁダンナをパパにしてあげたかったな。。。

わたし「わたしはもうちょっと考えていたよ。すっごいお金持ちになって、障害児の面倒をみる財団を作るの」
ダンナ「俺もそれは考えた。でも金で面倒をみるか?」
わたし「そうだよね。身内でないと、見切れないよね。身内だって見切れないことだってあるもんね」

結論は、なでちゃんは親思いのよいこだったということに、終始しました。

ただの親バカです。。。

わたし「7月27日の妊娠判定でHCGが低いのがわかった時から、ずっとなでちゃんのことが心配で、あ~わたしも両親からこんなふうに心配されて、愛されて、育ててもらったんだな~って思ったよ」
ダンナ「親の経験をさせてもらったんだよ。短かったけど(なでちゃんはおなかの中に)いたんだし、なでちゃんって名前もあったんだから」

ダンナが声をつまらせていました。
こんなダンナは初めて見ました。

ダンナ「人生は長いから良いってもんじゃない。どう生きたか。俺は喜怒哀楽がある人生が良い人生だと思っている。カオルさんも言ってるように『良いことと悪いことはハガキの裏表。悪いことの後に、良いことがある』。こどもが親より先に死ぬことはこの世で一番悲しいこと。でも人生に悲しい経験があるのは良いこと。それにその後には大きな喜びがあると俺は信じている」

わたしはこの人となら乗り越えられると感じました。

不妊治療を続けるかどうかは2か月かけて、ゆっくり話し合うことにしました。

その前にやらなくちゃならないことが、わたしにはありました。
O田先生に指摘された肉腫のこと(長くなるので、別の機会に書きますね)です。



帰って、ぐっすり眠りました。



一夜明けて、まぶしい朝。
雲ひとつなく晴れ渡った空がうれしかった。。。
※流産について記述します。読みたくない方はパスされてください。
でもあまり痛くない手術でした。


進行流産でした。
手術を済ませました。

書いた方が悲しい気持ちを整理できそうなので、書くことにしました。

4F(受付)9時半
受付機で受付を済ませた後、総合案内で問診票に「出血」と記入しました。

5F(受付)
受付の女性に問診票を渡し、

わたし「7週目なのですが、出血したので来ました」
受付「O田は上にいる(7Fか8Fで採卵中、あるいは移植中)ので、12時くらいになりますが、待ちますか?」
わたし「では内診と診察は他の先生で結構です。その後、O田先生とお話させて頂きたいです」


5F(内診室)
呼ばれたのは12時前でした。

O田医師「O田です」
わたし「先生!」

来てくださったんですね!

O田医師「おめでとう」
わたし「ありがとうございます」

エコー

O田医師「残念ですが、」

え?!

O田医師「あかちゃんは既に出かけています。こうなっちゃったら、もう100%ダメなんですよ。ほら、もう袋もない。子宮口も開きかけてる」

頭が真っ白になりました。。。

O田医師「今はあかちゃんが入口をふさいでいて出血していませんが、このまま帰れば、今晩救急車に運ばれるよ。すぐに手術しないと駄目なんだ。いいね?では8Fで」


看護師さんに付き添われ、O田先生と同じエレベーターで、あれよあれよと移動しました。

エレベーターの中でも、

O田医師「こういうのはほとんどが胎児の側の問題なの。母体に問題はない。大体が染色体異常だからね。100%もう駄目。」

と優しく話してくださいました。

わたしの未練が少しでも断ち切れるようにという配慮を感じました。

もちろん未練が全くない訳ではありませんでしたが、もう一つの懸念…というか、恐怖が頭をもたげてきました。

昨夜眠れなくて、ネットで「KLC 頸管ポリープ 出血」で検索したとき、子宮内ポリープについての記述でしたが「KLCに麻酔科はないから激痛」とあったのです。
KLCからKO大病院を紹介され、全身麻酔で流産手術を受けた人の体験も読んだことがありました。

激痛。。。

なでちゃんを失った上に激痛なんて。。。

悲しみと恐怖で頭がボーっとしてきました。

でも、どうせ手術しないといけないなら、信頼するO田先生にお願いした方が良いと、覚悟を決めました。

わたし「O田先生がいらっしゃる時で良かったです。よろしくお願いします」


8F(リラックスルーム)
1番のベッドにアサインされました。

9Fのダンナに電話で知らせ、手術着に着替え、痛み止めの座薬を入れ、トイレを済ませ、血圧を図りました。

やがて看護師さんが注射を持ってベッドに来ました。

看護師「緊張をとる注射を射ちますね。術中に血圧が急降下するのを防ぎます。これによってノドが乾くことがあります」

左肩に射ってもらい、よく揉みました。

避けられない手術であることは受け入れられるようになっていました。

既にほとんど流れかけているなでちゃんは、残念だけれど育たない子だったことも納得がいきました。


8F(手術室)
採卵や移植でもお世話になった手術台。
今日は流産手術の為にに上がりました。

悲しみと恐怖でいっぱいでした。

座薬効いてるかな。。。

O田先生「手術は同意ですね」
わたし「はい、お願いします」

消毒した後、あれっ、局所麻酔をしてくれました。

処置の最中も何度も麻酔を射ってくれて、多少痛みましたが、採卵とあまり変わらない程度の痛みで済みました。

O田先生「はい、これがあかちゃん。でも既にほとんど流れちゃっていたね。」

赤い小さな塊を見せてくださいました。

O田先生「はい、これで最後。ガーゼ1枚入れておくから」

たぶん10分くらいの手早い処置でした。
さすがはゴッドハンド!

ザルに入ったあかちゃんを見せてもらいました。

O田先生「これしかなかったよ。念のため、病理に出すね」

手術室を出るとき、O田先生がザルの中のあかちゃんを透明のプラスチック容器に入れているのが見えました。

ゴミみたいに捨てられちゃうんじゃなくてよかった。。。

でもその赤い塊は、不思議となでちゃんじゃない気がしていました。
だから後髪引かれることもなく、手術室を出ることができました。


8F(リラックスルーム)13時
ベッドに横たわり、ダンナとゆっきーにメール。

ダンナからの返事「了解しました。よく頑張りましたね。きっとなでちゃんはこのまま生まれたら親に迷惑がかかると思ったんだね。親孝行な子でした。」

突如、涙があふれ出しました。

ダンナの優しさと、親孝行ななでちゃんに、感謝しました。

空っぽのおなかをさすりながら、なでちゃんにしてあげたかったことが、なんにもしてあげられなかったことが悔やまれて仕方がありませんでした。

いっぱいかわいがって、愛してあげたかった。。。
いろんなところに連れて行ってあげて、綺麗なものを沢山見せてあげたかった。。。

ふと、なでちゃんが笑っている気がしました。

天使か妖精のように。

気持ちが少し明るくなりました。
そして思い出しました。

なでちゃん、一緒にライブに行ったね!
東京ドームで野球も観たね!
しゅんちゃんと遊んだね!
カオルさんにも会えたね!
フェルメールも観たね!
ベートーベンもドボルザークも一緒に聴いたね♪
パパにかわいがってもらったね!
パパと一緒に美味しい桃を食べたね!
電話だったけどおじいちゃん、おばあちゃんの声が聴けたね♪

決して多くはないけれど、すこしはなでちゃんにしてあげられたことがありました。
わたしの好きなものトップいくつかは観せて聴かせてあげられました。
この世での素敵な思い出がつくってあげられたことに気づいたら、ホッとしました。

ほんの短い間だったけど、ママでいさせてくれたなでちゃん、ありがとう。
ママは愛してるよ。

すこし眠りに落ちました。

きがついたら、看護師さんが1時間経ったことを教えてくれました。

トイレで血に染まったガーゼを取り出し、着替えて、スタッフのみなさんにご挨拶し、リラックスルームを出ました。


8F(待合室)14時
ダンナと合流。
お互い言葉らしい言葉もなく、表情も微妙。

やがてO田先生が来て下さいました。
原因は染色体異常。
胎児のせいであって、親のせいではないことを、改めて説明してくれました。

安静にするように、気をつけて帰るように、と気遣ってくださいました。

(実は手術中と待合室で、O田先生は肉腫について言及されたのですが、長くなるので、まとめて別の日に書くことにします。)


4F(会計)14時半
¥10,960を支払いました。

家に帰り、ゆっきーに電話したら、気持ちが緩んで、大泣きしてしまいました。
ゆっきー、泣かせてくれてありがとう。

長いようで、あっという間の一日でした。
書いたら、かなり気持ちが整理できました。

麻酔は切れたはずですが、痛みはなく、出血もほとんどありません。
むしろここ数日に比べ、お腹に圧迫感がなく、楽になりました。
なでちゃんが出るに出られず、苦しんでいたのだと思います。
楽にしてあげられたと思うと、気が楽になります。
ほんとうに親孝行な子でした。

とは言え、ホルモンの不安定で、しばらくは涙もろくなっていると思いますけどね。
ゆうべ大出血があり、不安で眠れず、KLCに来てしまいました。

内診室前で既に2時間…

ゆうべはビックリしました。
シャワーで膣内を洗浄しようとしたら、子宮口に丸くてやわらかい、直径1センチ強のふくらみを感じたのです。

ダメか。。。

丸いってまさか胎嚢が出て来てしまったのか???

でも気持ちを落ち着けて考えました。

もしや頸管ポリープが腫れているんじゃないかしら???

やがてふくらみがはじけて、大出血。

赤い血管のような固まりもあり、まさか!と、動揺。

頸管ポリープだと信じつつ、不安で寝つけず、朝も早く起きてしまったので、今までで一番早く来ました。

昨日ゆっきーに電話したら「わたしたちみたいなのは、生まれるまで安心なんて出来ないの!」と言ってました。

どんな思いをしても良いから、なでちゃんがお腹で元気に育っていますように!
朝の排便時に出血。
腹圧による出血か、睡眠時に溜まった血液なのか、出血の原因も箇所もわかりません。

念のため、KLCに電話したところ、「安静にして、様子をみてください。もし心配なら、診察に来ても構いません」との回答でした。

今日のところは安静を続けることにしました。

夕方お洗濯ものの取り込み後に、少し多めの出血が、ポタポタとしずくに。

ダメかも。。。

じっとしていると退屈で、安静3日目でテレビに飽きてしまい、ついつい家事をしてしまうのですが、じつはK林医師から家事も禁止されています。

ちゃんと安静にしよう。。。

なにかしていれば気が紛れるのですが、横になってじっとしていると、なでちゃんのことが心配になってきます。

私も両親からこんなに心配され、愛されて、生まれきたのかなぁ。。。

本来なら誰よりも早く妊娠を報告したい両親ですが、まだ秘密にしています。
羊水検査の結果がOKだとわかってから話すことに決めています。
高齢妊娠なので染色体異常の心配もあります。
でも両親はそれ以前に、わたしの病気の心配をするはずです。
年老いた両親です。
体力は落ちてるし、夏バテもしています。
心配させる時間は少しでも短い方が良いので、報告は羊水検査後の11月と決めました。

喜んでもらえる報告がしたい。。。

でもどうせ心配するんだろうな。。。

子供の頃はなにかと心配症で過保護な両親をうっとおしく感じたものでした。

大病が見つかったとき、両親をたくさん悲しませました。
でも全摘も抗がん剤治療もしないで、自分の気力と体力と自然治癒力を信じたいと話したとき、一つ返事でわたしのわがままを受け入れ、応援してくれました。

わたしも両親のような親になりたい。。。

なでちゃん、がんばれ!
ママもがんばる!!

なにをがんばるかって、今はおとなしく安静にすることしかできません。
その為に、ダンナが家事をしやすいよう、めんどくさがらず、適切な指示をすることだね。
昨日から安静にしています。
今日から7週目に入りました。

少量ですが出血は続いています。
鮮血で、生理が始まる時程度の量です。
おりものににじむ程度ではありません。
痛みはありません。

家事はダンナが協力してくれていますが、一晩でずいぶん散らかりました。
トイレに起きたついでに、ちょっとずつ片付けています。

たぶん頸管ポリープからの出血だと思います。
あんまり考えたくないけれど、肉腫の影響も可能性がないわけではありません。
でもなでちゃんの無事を祈る気持ちがいっぱいで、自分の心配は二の次ですね。
人の心配は気楽だっていうけど、我が子の心配ができるなんて幸せです。
トイレで鮮血を見て、まさかと思いました。

今KLCに向かっています。

なでちゃん、がんばって!
ママがついているよ!!


-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


とりいそぎ結果だけお知らせします。

出血箇所はわかりませんでした。

でもね…

心拍が確認できました!!!

週数は6週6日目、3.9ミリの小さな身体が見えました。

そして白くシュワッ!シュワッ!と血液が流れるのが見えました。

感動!
感涙。。。

なでちゃんは順調にがんばっているのでした。

出血があるため、安静を言い渡されてしまいました。
外出禁止、家事も禁止です。
つらいけど、仕方ない。。。