M子29歳。
息子3歳。
父39歳。
打ち合わせから2年以上の月日を要した大がかのリフォームはほとんど終わり、壁紙、床は綺麗に張り替えられ、お風呂、トイレは最新の物になっていた。

M子は毎日訪れる父にいろんな話をするようになった。
父も天真爛漫に笑うM子に惹かれた。

父の左手薬指には結婚指輪がついていた。M子は父に家族があることはわかっていたし。父は古谷の紹介のインテリア業の自営者。
これ以上親しくなるべきではないと互いに思っていた。

内装工事の終わりが見え始めたある日のこと。
めったに帰ってこない古谷の姿があった。

「ごくろうさん。無理聞いてくれてありがとう」
そう父に言って、生まれ変わった我が家を見て歩いた。

居間で息子と遊んでいたお手伝いが気をきかせ古谷に息子を抱かせようと抱え近づけると、大声で泣き出した。

「いやぁ。まいったな」
苦笑いの古谷をM子は冷たく見た。

二人の横から父は自然に息子に近づき、頭を撫でると大泣きしていた子がヒクヒクと肩を揺らしながら泣くのを止めていった。
「いい子やねぇ~」
そう言うと微笑んだ。
「一応子育ての先輩ですから」
場が和んだ。

M子はこの人との家庭だとどんなに穏やかで楽しいのかと想像してしまった。


声がとても温かくゆっくりで甘い。
育ちがよく、悪が見えない。

父を表現するとこんな感じだろうか。



死んでいるのが嘘のように綺麗に棺の中で眠る父の声はもう聞けないけれど耳に焼き付いてる。

キリスト教だった父の葬儀は歌が主で優しいオルガンの音に合わせて口ずさむ。

[いつくしみ深き友なるイエスは
罪とが憂いをとり去りたもう
こころの嘆きを包まず述べて
などかは下ろぬ 負える重荷を]


「この世での容姿は借り物であり、霊が還るのだ」と。
牧師さんの話しを聞いたせいだろうか。
思った以上に寂しくなかった。
生前より父をもっと近くにに感じることができるような気がしたからだ。

参列者をお見送りしていると知らないおばさんが目に入った。
「私のお母さん」
そう言ったのはこの日に初めて出会った父のもう一人の娘だった。
ということは…
私はM子が近くにいないことを確認し、小さくこう言った。
「母がすみませんでした。」
そして続けてこう聞いた。
「父のこと母のこと恨んでませんでしたか?」
おばさんは少し黙って、笑顔で
「ええ…とても」と答え
「だいぶ昔の話だから」と付け加え肩にそっと手をあててくれた。


昭和53年。
父は妻と娘を捨てた。