子宮外妊娠、手術後の気持の変化。 | ひまわりさんのひとりごと

ひまわりさんのひとりごと

不妊治療に頑張っている方々の情報の一つになればいいなと思います。2011年結婚、2013年〜不妊治療開始。結婚10年目、7年の治療で、2020年顕微授精で妊娠出産。2022年2人目治療開始。化学流産3回、11月子宮外妊娠。23年4月と9月稽留流産。男性不妊。

 子宮外妊娠が確定し、すぐに手術と言われた時、覚悟はしていても泣いてしまいました。でも、その涙は『子宮外妊娠だったショック。手術が怖い』その時はそれだけだった。

 手術後、麻酔で眠っている時、夫は手術で摘出したところ(卵管や胚?)の写真をもらい、それを見ながら説明を受けたようです。

 麻酔から目覚め、夫から「写真見る?」と言われたけど、見たくなかったので持って帰るようお願いしました。
だから、何がどう写っていたのか今もわかりません。

 無事に部屋に戻り、夫がコンビニに買い物に行っている時に、長年お世話になっている看護師さんがやってきて、何気なく、

看護師さん「手術の時の写真見た??」

私「いや、怖くて見てないです」

看護師さん「そっか、とてもキレイだったよ。どこに何があるかちゃんとわかる、キレイな子だった。」

 それを聞いた時、ずどーんと、何かが自分の中に落ちてきて、看護師さんが部屋を出たと同時に涙が溢れ、嗚咽を出しながら泣いてしまいました。

 その子は生きようと、生まれてこようとして私の卵管で育っていたのだ。

 ごめんね、ちゃんとフカフカのベッドで眠らせてあげられなくて。
 ごめんね、大切な命を取ってしまって。
 私の元に来てくれようとしたんだね。
 お腹に来てくれて、ありがとうね。生まれたかったね。
 卵管で育ってくれていたんだね。
 ごめんね。ごめんね。ごめんね。

 子宮外妊娠とはいえ、自分のお腹に宿っていた「いのち」。もうそれが、いなくなったのだと手術後に初めて感じました。
 うっすら陽性が出て喜んだこと。疑いながらもやっぱり期待していたこと。傷つきたくないから、喜んだり期待したりを自分の中に抑え込んで、一応陽性の判定をもらっても、誰にも言わなかった。でもやっぱり、期待してた。このまま妊娠をすることを祈っていた。
でも、ダメだった。
本当にごめんね。

 せっかく、くっついてくれたたまごちゃんに申し訳なくて、そして、悔しくて悲しくて惨めで、1人の部屋で沢山たくさん泣きました。

夫がコンビニから帰ってきて、思わず

私「せっかく、くっついてくれたのに、またダメやった。命をまた落としてしまった」
と呟いてしまいました。

夫「ごめんな」
と、男性不妊で不妊治療を始めて、もうすぐ10年。初めて夫が泣いていました。

私「全然謝る事じゃない。全然、あなたのせいじゃない。こんな経験、誰でもできる事じゃないよ。だから、また人の痛みがまた、わかるようになれた。経験した人じゃないとわからないよ!!
 この子(摘出したたまごちゃん)のおかげで人間的に成長させてもらった!私はまた人間的にパワーアップした!!(笑)」
と、夫の涙をみて、私が泣いていられないと、自然と前向きな言葉が出てきました。

 移植する前の胚も全て「いのち」が宿っている。妊娠はそれがきちんと子宮に着床するかしないか。
 でも、胚は同じ「いのち」。そして、受精できなかった精子も卵子も全部「いのち」になる。うまく伝えられないけれど、そんなわかりきった事を、強く実感した出来事でした。
 まだ5週だった、小さな小さな「いのち」が、自分の「いのち」と引き換えに私にたくさんのことを気付かせてくれました。