カイセリへ着くと外は銀世界。
この日は満月🌕でした。
「満月➕大雪」地震の多い宮城県人にとっては、大地震の予兆のような日だったのでどこか胸騒ぎがしていました。
カイセリからバスで更に南下し、カッパドキアへ。
この日は朝から移動でくたびれたので、夜にマッサージを予約して、早めにベットに入りました。
6(月) am4:20頃、天井から規則的にギーギーという大きな音と、ベットサイドの棚がガタガタと音を立てていたので目が覚めました。
その30分後くらいに日本の皆さんから安否連絡が立て続けに入り、ことの重大さと、地下の洞窟ホテルに宿泊していたため、石造りの建物への恐怖心が込み上げました。
「カッパドキアは1000年以上前から地震がなく、建物も壊れていないので大丈夫」という地元の人たちの自負がありましたが、地元の方も、「こんなに揺れた経験は無い」と怖がっていました。
耐震のない建物で地震を初めて経験したのですが、日本の耐震構造の様に家自体が柔軟にしなることはないです。
鉄筋もなくただ巨大な石が積まれているだけの建物は、建物自体が揺れている感覚はなく、周りの物だけが動くので、ポルターガイスト現象のような感じでした。
この日、洞窟のレストランでランチをしていると、地下にいても感じるほどの大きく長い揺れがありました。
船酔いのような感覚と、天井でブラブラと大きく揺れるランプをみていると、落ち着いて食事をしている場合ではなく、すぐに済ませて地上へ。
2回目の大きな地震でした。
その後も小さな揺れがなんどかあり、余震が続いていたのを感じました。
カッパドキアも観光地の所々で落石があり、ギョレメ野外博物館でも立ち入り制限のある箇所もありました。
この辺りは火山灰の土地で、地下都市のカイマクルは指で壁を擦るだけでポロポロと土が簡単に削れるような土地です。
今回トルコを案内してくれたアイハンさんのお友達親子がちょうど被災地にガイドの仕事で行っていたらしく、ニュースで大きく報道されている崩れたホテルに宿泊していたそうです。
連絡が取れないと、何度も電話をかけていましたが、その翌日、ガイド親子2人とも亡くなったことが確認されました。
アイハンさんは今回の被災地のあたりのガイドが専門の場所だといっていました。
コロナ明け、今回2回目のガイドだそうです。
亡くなられたアイハンさんのお友達ガイドも、コロナ明け久々のガイドの仕事だと喜んでいたそうです。
何度も何度も地震のニュースとsnsで他のお友達の安否を確認していました。
日本からもすぐに救援隊が到着したようで、この後は日本の救援隊の通訳で被災地に向かうと言っていました。
ここ最近、ギリシャ湾で地震が頻発していたらしく、ギリシャの方で地震がくるかと思っていたそうです。
3.11も1ヶ月前にニュージーランドで大きな地震があり日本人学生も被害に遭われていたのを思い出しました。
3.11の時、故郷が壊滅的被害に遭い、友人も数名亡くしました。それを何もできずにただただ東京で、何度も大きな揺れを感じながらもどかしく悔しく感じていたのを思いだしながら、アイハンさんとお話しました。
時期もまた似ています。
3.11もとっても寒い日でした。
トルコは今喪に服していますので、当然のことながらお店で大きな音楽をかけたりすることが禁止されています。
まだ助かる命があることを心からお祈りしています。
どうか。どうか。