今日は母の命日。満月の綺麗な夜でした。

「疲れた時には休みなさい」

「目立たないものほど気にかけなさい」

「課題意識を持って生きなさい」

「どんな人からでも学びなさい」

沢山の大切な言葉を残してくれた先生。


養護教諭時代には学校を追い出されそうになったヤンキーグループを擁護して突然パツキンクルクルパーマのヤンキースタイルで登場したり、私が学生時代には置き手紙だけ残して突然家を出て少数民族の辺鄙な国へ消えていたり、学校から帰宅すると私の男友達を数人束ねて家の掃除をさせていたり...と、沢山のオカシナ伝説を残してくれた面白い人でした。



東京でオルガン奏者をやっていた祖母(当時高泉みどり)は東京で江戸っ子の祖父と結婚し、開戦間もなく幼い叔父を抱えて故郷の宮城へ疎開。疎開先の宮城で生まれた母。当時、父親がいない家は学芸会にも出させてもらえなかったという話を今でも覚えています。


「自分の父親には4回しか会ったことがない。看護師に就職する際には、"本当に自分の父親ですか?"と東京の父を訪ねた」と語っていた。この写真はそのうちの貴重な1回。(1番左祖父、1番右母)その後祖父は自ら命を絶ったとか。


幼い頃から苦労が絶えない環境だったようだけど、そんな様子は一度見せたことのない明るく元気でぶっ飛んだおばちゃん先生でした。


母の口癖を添えておきます。(ジョホレッチ1ハンドブックより抜粋)

少しでも心の栄養になりますように。