ぬ5年ぶりの小笠原諸島を記録しておこうと思う。



小笠原諸島への入口は、竹芝からのおがさわら丸のみ。


おがさわら丸への乗船は要予約で、予約者にpcr検査を小笠原村が郵送にて無料配布する。


乗船の前々日もしくは前日に竹芝ターミナルに提出(窓口へ持込または郵送※送料は自費)をし、陽性者はもちろん乗船できないので、偽陰性以外はここでふるいにかけられる。


日本は憲法上pcr強制はできないのだが、島の宿を予約する際に、宿側が、陰性証明書要提出というようにプレッシャーをかけてる&島内での行動記録提出求められ、チェックアウトの際に宿へ提出する。




5年前におがさわら丸が3代目にリニューアルし、フィートが大きくなったおかげで、以前までは25.5時間だった船旅が、24時間と短縮した。



竹芝を出港すると、小笠原海運の職員の皆さんが、「いってらっしゃい」と書いたタオルを掲げてお見送りをしてくれる。


八丈島あたりで前線が下りてきたようで結構船が揺れ、定刻よりも20分遅れで父島の二見港へ到着した。 早朝4時頃の部屋からの朝焼けがとても美しかった。固有動物のカツオ鳥も朝食の時間をむかえていた。



父島へ到着してすぐにアポイントを取っていたのは、東京都小笠原村の副村長の渋谷さん。

浜で待ち合わせ。(写真を撮る時だけマスク外しました)


5年前に大変お世話になった以来の再会だった。


5年前に「まりさんと話しをしてると、両親の田舎の叔母達を思い出す」と言われ(笑)、ご両親はどちらご出身なんですか?と尋ねると、「宮城県の古川って言っても分からないですよね、、」と言われて大変驚いた。


まさに、私、古川出身ですよ!と返すと渋谷さんもびっくり!


しかも、住所を聞いたら、うちの実家の1キロ先!笑。徒歩圏内という不思議なご縁だった。


という事で、今回も早々にアポイントをとり、コロナ禍の島独自の対策や、現状など、色々お話しをお伺いさせて頂いた。


小笠原村は人の出入りが一定期間であるために、少子高齢化とは無縁の場所。


高齢者は約17%

コロナ禍中も、人口はほぼ横ばい。

父島の人口は2500名、母島が400名ほど。


コロナ禍に、観光客が激減して島特産のパッションフルーツなどが現地で売れなくなったので、内地から注文を受けて発送(もちろん、島のライフラインおがさわ丸は変わらず運行)する形に切り替えて、送料を無料にする処置を取ったり、


その他にも、各世帯収入が10万円を切らないように、足りなかった額を毎月継続的に補填給付していたそう。


ちなみに島民は公務員が多いので、所得自体はさほどの低下には至らなかったそうだ。


コロナ患者は現在0。

発症者が出た際には、硫黄島まで一度搬送し、その後自衛隊基地から内地へ搬送という流れをとる。


そして、昨日から、2回目のワクチン接種も始まった。


今回も色々と興味深いお話を聞かせて頂いた。



島内を歩いていると、村の子どもたちや、村の人たちに「しぶじぃ〜!」と声をかけられる副村長ってなんだかいいなぁとほっこり。



さて、渋谷さんと分かれ、島内を歩いて、夜はお世話になる宿で頂いた。


竹芝から1000キロといっても、ここは東京都。

緊急事態宣言中なので飲食店は20時まで。アルコール提供ももちろんない。


お宿で出して頂いたのは、小笠原名物の島寿司とソデイカのお刺身、豚肉のソテー、ゴーヤーのおひたしと島野菜のおひたし、茶碗蒸し。どれも美味しかった。





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二日目、三日目は、父島の史跡巡り、取材へ。

車で島内を周ると、記念碑や古文書が転がっている。


江戸時代、小笠原貞頼が無人島を発見して以来、江戸幕府が八丈島から農民30名を開拓団として向かわせた。


そう。「小笠原」は人の名前なのだ。


その開拓の碑の古文書がジャングルの中にひっそりと立っている。江戸幕府が開拓中止するも明治維新で再度開拓が始まった。

もちろん有形文化財だ。



そして、その農民の内、8名が子どもだったそうだ。八丈島から当時の船で何日かかって着いたのだろう。ましてや子どもも連れて、無事に着いてくれて本当に良かったと思う。

その子どもたちの寺子屋があったことを記録したものが、この「にほへの碑」だ。

結局幕府は開拓を中断し、引き上げてしまった。



ここが日本の領土であるという印が、この古文書の小笠原新治碑だ。江戸幕府が、6日間で掘らせた石碑だ。6日間で彫れるの!?と驚くレベル。

もちろんこちらも有形文化財となっている。



この一帯(島の中央エリアあたり)には、このような歴史を語る石碑が多数みられる。


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さて、ところ変わって、移動途中に海洋研究センターがあったので、海亀たちに会いに行った。



ここでは、海亀の調査、保護活動がされており、毎日浜では海亀の産卵場所を探す調査員の方々が砂を掘って、人間たちが踏んでしまわないように目標を立てている。


海洋センターでは、亀にキャベツをおやつであげることができる。


これでもまだ子亀。かわいい。


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小笠原諸島を歩いていると、面白い地層に出会うこともできる。

今回出会った地層はこれ。


地層というと、ミルフィーユのように横縞模様のイメージがあると思うが、この丸い輪っかのような模様、一見すると、岩を何かで固めてるの?と思ってしまうが、なんと、輪っかの部分が、黒色ガラス質でできており、輪の中が溶岩という不思議なコラボレーションで出来上がっている。


この島が海底火山から出来た島だと認識させる一つになっている。


海底火山で隆起した岩の塊に、色んなところから飛んできた鳥達が種を運んで、今では美しい森ができあがっている。


こちらは、スペインのモンセラートを思わせる地形。



小笠原の地質調査に関して、以下のサイトが面白いです。

小笠原地質調査-参考資料


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さて、島内を歩いていると、至る所にあるのが、トーチカや防空壕跡だ。

ビーチの脇、神社の境内の横、公園内、、、
歩けば壕がある。

隣国に近い土地ならではという感じもするし、戦争の傷痕も生活の一部となっている。


二見港からすぐのこのトンネルも、元々は壕だったというから驚きだ。

今では生活に欠かせない場所となっている。


旧日本軍の軍事施設や、防衛陣地も至る所に見ることができるのだが、時として、驚くべきところにもある。


この四角い穴がそうなのだが、どうやって掘ったの!?どうやって行くの!?レベルだ。

小笠原は旧日本軍の機密のところも多く、記録がないのも多数現存する。



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ここ、コペペ海岸にも壕が残っていた。
今では島の大ヤドカリが島の平和を見守っているようだ。



父島地図はこちら。



最後に、皆さんが気にされる「コロナ差別」についてだが、冒頭にもお話したように、pcr検査は必ず受けてから乗船すべき(というか、陰性証明書がないと宿が受け入れてくれない)なのはもちろん、そもそも、小笠原村は東京都。


島民の多くは移住者な上に、内地と島と行き来してる人が多い。

実際お世話になってる宿のオーナーとスタッフさんも同じ船で島へ到着してそのまま仕事をしていた。


そう考えると、島民のみなさんはやはり、「東京都民」という意識で生活をしている印象なので、嫌な顔は一切されない。


とはいえ、コロナ患者0で、自分の陰性証明がとれていても、島内は医療機関が限られるので、念には念をで、人がいるところでの手消毒、マスク、ディスタンスのエチケットはまだまだ必須だろう。