ちなみに、スロベニアの首都リュブリャーナは、ドイツ圏からスラブ人の国にしようてことでうまれた街で、「最大の愛」という意味だそうです
街中のお土産やさんは、♡をモチーフにしたグッツが目につきました💓
ブレッドは、もともとドイツの皇帝からあずかったという歴史の地だそうです。
旧ユーゴスラビアは、ドイツの影響が根強く、この辺を統治していたのが、まさにドイツ系貴族、ハプスブルク家。
ヨーロッパを歩いていると必ず目にするのが、ハプスブルク家の紋章です。
ちなみに、ハプスブルク家はもともとスイスの田舎出身の、「白い鷹」という意味の無印貴族でした。ローマの膝下で、ローマ皇帝、ドイツ国王などの称号を手にし、どんどんヨーロッパ内で勢力を伸ばしていきました。
小さく点々と写るのが、人間たちです笑。
100年生きるそうです。研究をしていても、産卵の姿は未だ見たことがないというほど希少な生き物です。暗闇の中で生活するので目がなく真っ白でふ。ひょろっとちいさなウーパールーパーみたいな生き物でした。
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スロベニアは、旧ユーゴスラビアのひとつです。
またここで少し、陸続きの国々の事情をメモします。
そもそも、旧ユーゴスラビアとは、
ユーゴ=「南」という意味と、スロベニア、スラビア、スロバキア(チェコスロバキアのスロバキアです)、は「スラブ人」という意味の組合せでできた、つまり、「南のスラブ人の国」という意味だそうで、「北」を除いた、東西南のスラブ人で結束され、国が構成されていました。これがユーゴスラビアのはじまりです。
ちなみに、東ローマ帝国からみて西ヨーロッパに住まう人、または移住した人、フランク王国を指すフランク族(=槍の意味) は、ローマ帝国と睨み合い、北と東がフランク人、南と西がラテン人と、ライン川をまたいで割れたそうです。
フランク族はゲルマン人のことです。
そう、あの、「ゲルマン人の大移動」です。
社会科では、これが中世のはじまりだと習った記憶があります。
ちなみに、ドイツのフランクフルトは、この時の、「川の浅瀬」をフルトといい、フランク人がそこを渡ってフランクフルトとなったということのようです。ヘェ〜。
フランクって、気さくなイメージの単語で使われることがあるから、フランク人の気質から来てるのかなぁと、ウィキペディアをみてみたら、
「フランク(francus、franci)の語義は「勇敢な人々」[1]、「大胆な人々」[2]、あるいは「荒々しい」「猛々しい」「おそろしい」人々という意味であるとされている[3]。」
って、全然フランクではありませんでしたww
またまたちなみに、キリスト教にとって、ドイツとスロベニアの間にあるオーストリアは、「東の辺境の地」という意味だそうです。なるほど。
もはや、ゲルマン人とかスラブ人とかセルビア人とか、訳が分からないですよねw
それだけ複雑にぐるぐると民族が衝突したり利用されたりしていたんですね。
セルビア人ももともとはスラブ人だけど周りの国交の関係で、セルビア人とスラブ人との間に亀裂が入り、1989年に憲法によりバラバラになったといいます。
そもそも、セルビア人が固まって住むようになった経緯は、セルビア人は勇敢でよく闘ったそうで、ハプスブルク家がセルビア人自治区をつくって、セルビア人を兵士で雇用するために住まわせたということだそうです。プライドが高い民族性を戦争で利用したということですね。