女をラクにする呪文。共感の有無について。 | 星読み師mariko

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【初めましての方へ】 

調香師の廣瀬真理子と申します。

 

お客様に合わせたオリジナル香水

をお作りしています。

 

 

香りはあなたの女性性を、エネルギーの状態を教えてくれるもの。

そしてあなただけの花を開く為の

美しく優雅な導き手。


調香とは調香と私について。調香セッションとは
調香セッションて何するの?


 
 

 
現実でも、数多のフィクションでも、
女性がパートナーに愛想を尽かす、
あるいは気持ちがなくなる時は
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あって当然と思って
いた共感が得られ
なかった
 
 
 
 
 
 
と感じた時。というパターンが、
物凄く多い。と、思います。
分かりやすく浮気だDVだ借金だ
以外の理由は、ほぼコレじゃないで
しょうか。
 
 
 
 
 
 
リブログ先の小田桐あさぎさん
の例は、その中でもかなり深刻な
シチュエーションと言えるのです
が。流石過ぎると思うのは、大体の
女性にとっては衝撃である流産と
いう出来事に対する、ご主人の
あまりに素直な反応に、
 
 
 
 
 
 
 
 
そう言えば、私は何故悲しいのだ
ろう?何故、悲しくて当たり前だ
と、悲しむ「べき」ことだと無意識
に考えているのだろう?
 
 
 
 
 
 
 
と、ご自分と向き合う方へ進んで
いらっしゃること。
 
 
 
 
 
 
 
 
よくあるパターンとしては、
これが悲しくないとか人として
あり得ないとか、ひどい人とか、
まあそんな感じになって、溝が
出来たり、溝が高じて離婚したりも
おかしくないようなお話だと思う
のです。
 
 
 
 
 
 
 
 
でも少なくとも、ブログでは、
そのようなご様子ではない。
凄いな、と。お身体やお気持ちを
慮るより、凄いなやっぱり。と
いうのをまず感じてしまいました。
 
 
 
 
 
 
 
 
デリケートな話題で、私も実は
おっかなびっくりでこの記事を
書いているのですが、流産には、
そもそも出産しても育たない、
生きられないと、宿った命自体が
判断して流れる、という側面があり
ます(私もその昔、海堂尊のジーン
ワルツを読んで初めて知ったのです)
 
 
 
 
 
 
 
 
大体の方が、私がいけなかった、
アレしたからコレしたから、と、
ご自分を責めるかと思いますが、
生き物としての営みというのは、
個人の感情を超えたところにある。
 
 
 
 
 
 
 
 
医療が発達し、自然から遠去かった
私達は、何もかもが整然とコント
ロールされるべき、命さえもどう
にか出来ると、無意識に思っていた
りするのですが、
 
 
 
 
 
 
 
大間違いなのです。
生殖や、新たに生命をゼロから産む
ことについては、どうにもならない
のが現状。先は分からないですが。
 
 
 
 
 
 
 
 
もちろん、だからといって、
悲しむな、悲しんではいけない、
という話ではありません。
悲しいものは悲しい。
ただ、それを、悲しいと感じるか
否かは、
 
 
 
 
 
 
 
 
 
人によるし
個人の自由
 
 
 
 
 
 
なのです。
こと生き死にに関することだと
当然ながら、悲しむべきという
通念も圧力も強いのですが、
悲しむべき繋がり(身内とか)の
葬儀でも、ほぼ悲しくない、とか
ホッとしたとか、逆に嬉しいとか、
割と普通にあること。
(ちなみに私は寺の娘です)
 
 
 
 
 
 
 
 
際どい話がクドくなりましたが。
 
 
 
 
 
 
 
何が言いたいかというと、女性
は、
 
 
 
 
 
 
 
 
 
共感=愛ではない。
共感しない=愛が
ないのではない。
 
 
 
 
 
 
 
ということを、大前提として知ら
ないと、たっぷり受け取れるはず
の愛を受け取れなかったり、
逆に、自分に愛なぞほぼない人間
をコロッと信頼してしまったり
しますよ、というお節介を言いた
かったのです。
 
 
 
 
 
まあ、後者は典型的なホストなど
その他色々のやり口というか。。
恐ろしいことに、「分かる、分かる
よ、辛かったよね」と、それらしい
寄り添いの形を取られると、実に
単純に、その相手を「なんて良い人」
とか「理解者」だと思ってしまう
ところが、私達にはある。
 
 
 
 
 
 
 
そして、自分の「感情」を肯定
してくれない人や、読んでくれない
人には、敵意を抱く。
 
 
 
 
 
 
 
 
自然な性質ではありますが、
あまりそれに振り回されると
大事なことを見失う。
新興宗教にハマり家族を捨てた
とか、こんな経路が断トツで多い。
 
 
 
 
 
 
 
 
本来、人は、嘘を見抜けるはず
なのです。口先で、それっぽい表情
で共感されても、普通の状態なら、
はあ??とか、とりあえずそう
言ってるなあ、シチュエーションに
対する条件反射で常識的な
リアクションだなあ、とか分かるの
ですが(逆に心底共感してくれている
のも分かる)
 
 
 
 
 
 
 
 
自分の感情に振り回されている
と、本能の警告に気づけない。
この状況なら、「人は絶対こう
あるべき」というフィルターが
あると、相手を見誤る。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
感情に寄り添う
べきは、誰より
自分
 
 
 
 
 
なのです。自分が自分の感情、
悲しみや苦しみ、痛みをとことん
感じて、自分に寄り添って、
感じたいだけ感じていいよ、と
許可していないと、外の誰かに
それを代わりにやってもらいたい
と無意識に感じたり動いたりして
しまう。
 
 
 
 
 
 
 
 
共感を得たい、誰かに寄り添って
欲しいと思うことがいけない、
というのではなく。それは自然な
感情ですが、
 
 
 
 
 
 
 
寄り添ってくれた
=愛がある、
寄り添って
くれない=愛がない、
ではない。
 
 
 
 
 
 
ということを受け入れていないと
とんだ迷路にハマりこんだりする。
 
 
 
 
 
 
 
 
愛する、愛を受け入れる、という
ことは、だから実はかなり醒めた
覚悟のようなものがいる側面が
あるのだと思います。
 
 
 
 
 
 
 
お互いに、何に対して何を感じ、
考えるかは、限りなく自由である、
と、知っている、受け入れている
ということ。
 
 
 
 
 
 
 
そして、その上で諦めないこと。
私は今、こうされたい。こうされる
と愛されていると感じると、丁寧に
伝えること。
そして、伝えたことを受け入れるも
受け入れないも、相手の自由だと
知ること、受け入れること。
 
 
 
 
 
 
 
もちろん、全て飲み込んだ上で、
やっぱりこの人とは無理。という
のは全然ありですが、
 
 
 
 
 
 
 
 
前提を受け入れた上で出す結論と
知らない、受け入れていないまま
で出した結論では、その後が、
次のパートナーとの関わりが、全く
違って来てしまう。自分が本当は
何を求め、何を必要としているか
いつまで経っても分からない、と
いうことにもなる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
共感しない=愛がない、ではない。
女をラクにする認識だと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
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お互いに自由で
お互いに違うということ。