誰にでも死にたい時はある

そういう瞬間は度々訪れる

 

長年ひたすら努力して来たのに

本来の自分の姿を

世間が知らないまま何十年も

時間が過ぎた事を感じた(る)時

 

私も死にたい時は何度もあった。

理由は様々。

 

そういう時は、

”死にたい”と言葉に出してほしい。

誰かに言うのもいいし、

一人の部屋で言い続けるのもいい。

 

小さな子供たちの前では

言わないようにね。

(私はそれで失敗をしました)

 

それを言う事を一方的に

悪い事と決めつけて

”悪い人間だ” ”悪い母親だ”と

一方的に責めモラハラする

夫が隣にいない時に

(そんな夫だったら別れちゃえ!)

言うんです。

 

それを言ったからってすぐに

警察に電話したり(アメリカあるある)

そんな危険な状態なら

あなた隔離ですよ、とおどかしたり、

それは周りもしないであげて。

 

”死にたい”と言えている時は

ガス抜きになっている。

 

リストカットなどをする人が

それによっていくらか

気持ちがリリースされるのと同じで、

”死にたい”と呟く事で

マグマのような苦しみや悲しみが

少し抜けていくのです。

 

だから、聞いてあげられる人は

聞いてあげて。

『そんな事言っちゃダメだよ』

と言うのは逆効果なので決して言わないで。

 

何も言わないと目の前で

誰も受け止めてくれていないと

感じるので、時々相槌打って

心で聞いてあげて下さい。

 

世の中には生き続けたかったのに

それが出来なかった方々も

多くいた。

 

東日本大震災、北陸での震災。

不慮の事故、

ガンを発症する赤ちゃんだっている。

 

命を切り札にしないでほしい。

 

私も大きな事は言えないけど、、、

 

命を持って証明したい事も

あるかもしれないけど、

それは私にとってはヒステリアに感じる。

 

自分が一番大切なんです。

己を愛してあげなくて、

誰があなたを愛するのか。

 

自分が自分の唯一の、

一番の味方なんです。

 

人を当てにしない。

人を軸にしない。

 

 

私は愛犬との生活。

愛犬を心から信頼しています。

 

ひとりは淋しくない。

周りから押し寄せる

エゴ(自分勝手な人たち)

から自分の心を守っています。

 

家族だからってやられっぱなしのまま

ではいけません。

仕切り線(バウンダリーズ)をしっかり持たないと。

心なんて、人生なんて

あっという間に負にハイジャックされ

翻弄されてしまいます。

 

もう一度言います。

血がつながっているいない関係ないです。

会う度に、エネルギーを

吸い取られるように

持って行かれてしまったり、

疲労困憊する相手とは

距離を置きましょう。

 

ばちなんて当たりません。

自分を大事にしているだけだから。

 

テレビの世界の事は

私にはわからないけれど、

音楽の世界にも、

心無い非常識な方々はいます。

 

そんな方々+大衆に

わかってもらえなくたって

いいじゃないですか。

こだわりは痛いほどわかるけど、

命を持って証明しなければならない

作品なんてないと私は思う。

 

 

自分の芸術や作品たちを

守るために

ステートメントを発する事は

大事でしょう。

それに関しても色々言われるかも

しれません。

後に消したくなったら消せばいい。

自分の人生なんだから。

 

その後は、気持ちを切り替えて

旅に出るとか

(私も愛犬とBig Surとかに

出かけてみたい!!)

苦しみを遠くにぶん投げて、

新しい1日をはじめないと、です。

 

苦しみや悲しみにお水をあげ過ぎない。

私はそれをいつも心に留めています。

(うまく行かない日もありますが、、、)

 

命、全うしましょう。

この人生をがんばって生きれば、

のたうちまわるような苦しみに溢れる

この人間界に

もう戻って来なくても

よくなるかもしれません。

 

私の目標はそこです。

 

さあ、今日も一日穏やかに。

 

皆さんもお元気で。

 

真理