知らせが入ってすぐに

悲しくて、いてもたってもいられない気持ちで

ここに悲しいと書いた。

 

でもすぐに消した。

 

まだ正式に発表されていない時間帯だったし、

正直、

”悲しい”という言葉では

言い表せない気持ちでした。

 

心にポッカリ穴が開く、

というのはこういうことなんですね。

 

私と水木さんは毎日お話しするような

そういう関係ではなかったし、

互いのSNSをフォローしている訳でも

ありませんでした。

 

しかし、離れていても、

話をしなくても、

互いを気遣う気持ちがあるのは

以心伝心で感じていました。

 

水木さんは、40年以上前から

私をご存知だったそうです。

私の音楽に興味があり、

私のデビュー直前、

原宿でミーティングをした、と。

 

私がまだ東郷神社のところの

学生会館に住んでいた頃です。

 

その話をされても覚えていなかった私は、

え、どの人だったの??

と狐につままれた気持ちでした。

 

その話は、中国での仕事の打ち上げで聞きました。

 

お台場Zeppでのイベントに

私を担ぎ出してくれたのも水木さんでした。

ぜひ真理ちゃんと、と

プロダクションにお願いしてくれたのです。

 

その後も、ぜひ真理ちゃんと、

というのは続き、、、、

 

私が声の不調により、

東京でのイベントでの歌唱を失敗した時も、

その後の大阪公演で挽回した私を

一番先に喜んでくれたのは

水木さんでした。

 

これでまた結果が出せなかったら、

もう歌うのはやめるという覚悟で

歌いました、とその後、

水木さんにお話ししたものでした。

 

よくがんばったと言ってくれました。

いつだって、私の応援団長でした。

 

2016年、上海公演の翌朝、

朝早くロサンゼルスへ戻る私を、

仲間たちと一緒に

ロビーでお見送りしてくれた

優しくて気の利く水木さん。

 

 

みんなはアニキと呼ぶけれど、

私にとっては、

なんだか不思議な距離感で

繋がっている

大切な水木さんでした。

 

3年前に広州でスパロボライブした時は、

全くもって鉄人のように

お元気でしたのに。

病というのは

あっという間に人の肉体を滅ぼすのですね。

 

実は昨日、

本当に、、、、

家の中で

男の人の声がしたんです。

 

今の声、なんだったんだろう、って

愛犬勇気と話していました。

 

家の外ではなく、

家の中で

風に乗って運ばれてきたような

声でした。

 

もしかしたら、水木さんだったのかも。

 

肉体は滅びても魂は永遠です。

 

世界は1つの光を失いましたが、

きっと雲に隠れているだけです。

 

その光を受け継ぎ、

命の限り輝き続けたいと思いました。

 

ご家族、ご友人、

関係者の方々の悲しみを思います。

皆さん、どうぞお大切になさってください。

 

私も、私のやり方で

静かに

水木さんを偲びます。

 

アニキ、天国で少しゆっくりしてください。

 

私が歌う時、天国から

また応援してください。

 

真理