巨大なアフリカ系アメリカ人歴史文化博物館*後編 - Washington DC 2024 | フロリダ南西生活 in アルバ

フロリダ南西生活 in アルバ

2019年7月 10年住んだハワイからノースウェスト アーカンソーへ引っ越し。3年後、2022年9月 サウスウエスト フロリダ州Alvaに引越してきました。
2021年3月 旦那が膀胱がんと診断され、その後ガンサバイバーに。
2023年11月保護子猫マヤをお迎えし、猫との生活開始。

ワシントンDCへの旅行記の続きでーす。

 

2日目は、事前にCongressman(下院議員)オフィス経由でお願いしていたツアーが3つもあって大忙し。

 

 

朝イチから一番行きたかったホワイトハウス内部見学ツアーを終えて、

 

 

一旦ホテルに戻って手荷物を取って、

 

 

今度はホワイトハウスとは反対側に位置するSupreme Court(最高裁判所)へ

 

 

Supreme Court の見学が終わったら、

 

次は隣の建物 The Library of Congress(議会図書館)での見学ツアーへ

 

 

予定されていた3つのツアーを無事に終えて、

 

時間が大分繰り上がったので、予定になかったけど、ランチがてら、行ってみたかったファーマーズマーケットへ

 

 

無事に絶品クラブケーキ・バーガー♡を堪能したあとは〜

 

まだ2時過ぎだったので、これまた予定にはなかった、

 

旦那の叔父さんがオススメしていた、National Museum of African American History and Culture(国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館)へ、またまたライドシェアLyftで向かう〜

 

 

後編は、地階のC3→C1のヒストリーギャラリーを見学〜

 

 

階段に沢山の写真があって、ここから見応えあり〜

 

一番下の階へ移動して〜

 

  C3 Slavery and Freedom(奴隷制度と自由)

 

「奴隷制度と自由」展では、我が国の共通の歴史の核心である奴隷制度と自由の複雑な物語を探ります。展示は15世紀のアフリカとヨーロッパから始まり、アメリカ合衆国の建国まで続き、南北戦争と復興期の国家の変遷で終わります。
 

 

C3から見始めたんだけど、最初は、アフリカから奴隷として送られてきた頃の歴史から始まっていて、ちょと残酷過ぎて前半は写真を撮れず〜

 

 

とにかく展示のスケールが凄すぎて圧巻。

 

 

高い筒抜けのエリアの中に、当時の電車や小屋が展示されていたり。。。
 

 

The Paradox of Liberty(自由のパラドックス)という大きな彫刻作品も。

 

中央にトーマス・ジェファーソンの等身大の像があって、周りには黒人の像が。後ろのレンガの1つ1つにジェファーソンが奴隷にした人物の名前が刻まれているという、迫力たっぷりでかなりの大作。

 

 

この時代、奴隷が育てた綿花がアメリカ経済の成長を大きく支えてたということでKing Cotton(綿花は王様)というスローガンがあったそう。

 

 

サウスカロライナ州のポイント オブ パインズ農園の奴隷小屋の実物が展示されていたり。

 

 

そろそろ次の章に移る展示の左上部には、またまた別の小屋が。

 

 

下から見えていた小屋の正面に出てきた。

 

この小屋は、Jones-Hall-Sims House(ジョーンズ ホール シムズ ハウス)とのこと。

 

ジョーンズ ホール シムズ ハウスは1874年に建てられ、元々は元奴隷のリチャード ジョーンズの所有物でした。ジョーンズは弟のエラスムスとともに、近くの農園から9エーカーの土地を135ドルで購入しました。家族は家の周りの土地を耕作し、何年もかけて、子供や他の親戚に土地を与え、彼らもそこに家を建てました。この建物は、最初に発見されたとき、メリーランド州プールズビル近くのジョーンズビル コミュニティにあり、兄弟にちなんで名付けられました。家族のメンバーは今もこの地域に住んでいます。2009年にこの家を取得した後、博物館は建物を解体、燻蒸、洗浄し、最終的に博物館で再組み立てしました。これにはほぼ3年もの非常に専門的な職人技が必要でした。

 

ということで、奴隷から市民権を獲得するまでの章へ。

 

C2 Defending Freedom, Defining Freedom

(自由を守る、自由を定義する)

 

この展示では、復興期の終わりから数年を振り返り、国家がアフリカ系アメリカ人の地位を定義するために奮闘した様子を紹介します。この時期は、米国とアフリカ系アメリカ人にとって重要な時代です。250年以上にわたる奴隷生活の後、アフリカ系アメリカ人が完全な市民権を獲得できるかどうかが試される時期です。 

自由を守り、自由を定義する: 人種隔離の時代1876年〜1968年は、その闘争の主要な側面をとらえ、アフリカ系アメリカ人が直面した困難を乗り越えただけでなく、国家の中で自ら重要な役割を築いた様子を描いています。また、これらの闘争の結果として国家がどのように変化し、自由、平等、民主主義に関する宣言とより調和した形で国家が誕生したかについても考察しています。

 

 

 

そして、こちらは、カンザス州のNICODEMUS(ニコデマス)というエリアのサイン。

 

1877年にケンタッキー州から「移住者」となった元奴隷たちが、カンザスに集落を築き、ニコデモスと名付けたそう。1880年には、黒人だけのコミュニティの人口は400人以上に。

 

いよいよ奴隷時代から自由へと動き出した時代。

 

そして、公民権運動(1945-1968)の時代へ。

 

いきなり背の高い塔が。

 

 

Guard tower from Camp H at Angola Prison

この刑務所監視塔は1930年代から1940年代にかけて建設され、アンゴラにあるルイジアナ州立刑務所のキャンプHの囚人を監視するために使用されました。「血まみれのアンゴラ」と知られるアンゴラ刑務所は、国内最大の厳重警備刑務所です。この地域を占めていたかつての奴隷農園にちなんで「アンゴラ」と名付けられました。この塔は、刑務所の囚人が主にアフリカ系アメリカ人だった、ジムクロウ法と人種隔離時代の監視と懲罰の方法を表しています。

 

公民権運動などで収容された囚人を監視していた塔なのかな。最悪の刑務所だったみたいで「血まみれのアンゴラ」って怖すぎる(涙)

 

そしていよいよ実際に走っていた列車の見学へ〜

 

 

この車両を搬入するにあたっての興味深いエピソードがあったので載せておきます。

 

Southern Railway Coach No 1200

(サザン鉄道客車 No.1200)
博物館の友人であるピート・クラウセンは、テネシー州チャタヌーガのテネシーバレー鉄道博物館でこの隔離された鉄道客車を発見しました。博物館はワサッチ鉄道請負業者と協力し、18か月かけて客車を修復しました。修復が完了した後、客車は2013年11月にトレーラーでワシントンDCに運ばれ、博物館内に設置されました。これは博物館がオープンする3年近く前のことでした。壁が設置されると列車が大きすぎて設置できないためです。2台の500トンのクレーンが客車を慎重に建物の外壁の上に持ち上げ、建物の下層階に60フィート下ろしました。客車の重量は77トンあり、客車の持ち上げと設置は複雑で刺激的な作業でした。

 

凄い!

 

18ヶ月かけて修復→テネシーからDCに輸送→博物館のオープン3年前の壁ができる前に車両を搬入。

 

この博物館全体に思うことだけど、スタッフの方々の想いが凄くて感動。

 

さて、車両の中は〜

 

 

ジム・クロウ法下での人種隔離政策の残酷な効果を示す最大の遺物の一つは、人種隔離政策時代の鉄道車両である。この車両を歩いてみることで、人種隔離政策の過去に実際に足を踏み入れたような不安な体験ができるだろう。
有色人種セクションには荷物棚がなく、旅行者は足元にスーツケースを詰め込まなければならないこと、また有色人種用トイレは小さく、白人用トイレほどのアメニティがないことがわかる。

 

ちょっと比較の写真が撮れずだったんだけど、平等と言いながら、白人用と有色人種用に隔離して、しかもサービスに格差があったんだね(涙)

 

 

'COLORED' RESTROOM

used by African American

 

有色人種用トイレの標識が(涙)

 

 

さて、悲しい隔離時代から上の階へ〜

 

C1 A Changing America 1968-

変化するアメリカ 1968年以降

 

「変わりゆくアメリカ:1968年以降」は、 アフリカ系アメリカ人の社会的、経済的、政治的、文化的経験に関する物語を通じて、現代の黒人の生活を探ります。 

マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの死からバラク・オバマの2度目の当選まで、その範囲は広範です。大規模なグラフィックとオリジナルの遺品が、訪問者をブラック・アーツ・ムーブメントからヒップホップ、ブラック・パンサーから「Yes We Can」、そしてブラック・イズ・ビューティフルから#BlackLivesMatterへと導きます。 

この展覧会では、アフリカ系アメリカ人が人種的平等と社会正義のために戦い続ける中で直面する課題(階級、性別、移民の経験と相まって生じる課題)についても考察します。これは 20 世紀だけでなく21世紀にも関連する問題です。
   
 

 

"Move On Over or We'll Move On Over You"

(先に進んでください。さもなければ、私たちが先に進みます)

 

というスローガンは、ブラックパンサー党の初のポスターだったそう。

 

 

アフリカ系アメリカ人初のアメリカ合衆国大統領に選出されたオバマさんのコーナーも。

 

いよいよCセクションの見学も終わり、1階に向かうところで、飛行機の展示が。

 

 

なぜここに?っと思ったら、

 

Tuskegee PT-17 Stearman

Tuskegee Airmen(タスキギー エアメン)は、第二次世界大戦中にアメリカ陸軍航空隊の第447爆撃機グループと第332戦闘機グループに所属していたアフリカ系アメリカ人のグループです。

 

彼らは、陸軍の内外で人種差別にさらされました。彼らには戦闘任務の資格がないと多くの人が考えたため、軍の指導的役割や熟練した訓練を拒否されました。1940年以前は、アフリカ系アメリカ人はアメリカ軍で飛行することを禁じられていました。公民権団体とマスコミが圧力をかた結果、アフリカ系アメリカ人のみの追跡飛行隊が結成されました。タスキギー エアメンは、人種差別と偏見を克服しました。彼らは第二次世界大戦で最も尊敬された戦闘機グループの1つになりました。タスキギーのパイロットのほとんどは、最初にPT-17ステアマン機で訓練を受けました。

 

軍隊にまで差別があったんだね。そして差別を見事にじゅうふくして、この飛行機で立派な成果を上げたアフリカ系アメリカ人の隊員たち♡

 

 

最後には、ゆっくり座って鑑賞できるシアターのコーナーも。

 

 

オバマさんの大統領就任式の時の映像なども。

 

さてさて、2部に分けてレポートした、National Museum of African American History and Culture(国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館)でしたが、

 

実はこれでもかなり見逃していて、というのも朝から3つのツアーをこなし、かなり疲れてきていた所で、予定になかったこのミュージアムに来てしまったので。。。

 

旦那が見応えありすぎで、全然見きれなかったから、また別の機会にゆっくり来たいって。

 

あれ?ランチを半分ずつ食べたっきり何も食べてないけど、クタクタなので、夕食どうしよう〜?っと話しながら、またまた、ライドシェアLyftでホテルに戻る〜