高校は私立の進学校だった。


特筆すべき点もない。

部活にも入らず、学校はさぼり、不良少年と付き合って

親を泣かせて、成績は悪く、楽しい時間を共有するだけの友達の名は

高校を卒業すると同時にアドレス帳から消えた。


今思えば、もっともっと多くのことを吸収できた時間。


悪い意味で我慢をしない生き方をここで覚えた。


短大に入った。


そこでは本当にぐーたらな時間を過ごした。

尾崎豊とオフコースが好きな、とても頭の良い彼氏ができたが

「それこないだも話したよね」とよく怒られ

「俺のレベルについてこれてない」と最終的にふられた。


泣きすぎて電車の中で鼻ちょうちんを隠し切れなかった。


お酒が飲めないので、合コンでも主役になれない。

一流企業との合コン、

一流大学との合コン、

官庁新人との合コン、

クラブ、読者モデル、色々あったけれど

何一つはまれなかった。


でもその時は、それをやらないと

ダサい人間だと思われるんじゃないかと思って

一生懸命、演技をした。


価値のある人間として見られたいと思うがあまりに

すべてのものを手に入れようとして

結局、すべて掴みきれなかった。。。

そんな大学生活だった。


そういえば、私が東大の彼氏にふられたとき

母が私の部屋で、私の肩を抱き

「あんなやつにふられて、はっきり言ってお母さん良かったと思うよ」

と言ってくれた。

胸の奥がすっきりした。


母がそんなことを言うのは珍しかったから。


私の母は、

鬼よりお化けより雷より地震より怖かったので

当時は彼氏のことより、そんな母の一面に

驚愕せずにはいられなかった。


のちにセラピストに

私の弱さの原因は母の高圧的なしつけだと指摘されている。

否めない。

中学ではクラスに友達が出来た。


部活動もうまくいかず、クラスでも友達とよく喧嘩をした。

でも、その相手とは「親友」と呼べる間柄になった。


親友Fは成績もよく、清潔そうで男子からも人気がった。

私は自分の方がかわいいと思っていたのであまり気にしなかったが

男子がいっこうに、私をかわいいと言ってくれないので

彼らのレベルが私についてきていない、とさえ思っていた。


私はその子と詩の交換をしたり、一緒に勉強したり

喧嘩をしたりして毎日を過ごした。

6人グループだったが、私はほかのクラスに悪友がいた。


悪友とは2人で学校をさぼったり、煙草をはじめて一緒に吸ったり

仔犬を見つけて2人で育てたりした。


ちょっと悪を気取りたい男子とも仲良くなった。


親友Fは優等生だったが、そんな悪い男子が結構好きで

間を取り持ったりもした。


私は仲良しグループ6人のうちの1人が、ある日

親友Fを無視しているとの情報を得た。

親友Fは泣いていたので、驚いてその子に事情を聞いた。


ところが彼女はニヤニヤ笑って質問に答えない。

だから私は机を持ち上げて投げた。

放課後だったので、数人クラスに居たが、

それ以降私は不良少女のレッテルを貼られた。


とはいえ、私はただのひねくれもので不良とはわけが違ったので

彼らの印象と本来の私は

確実に違うものであることを

誰がわかっていただろう。


学校をさぼってバイクに乗るわけじゃない、

学校をさぼって土手で蛙を捕まえたり、詩を書いている

本当はとても幼い学生だったんだ。


それなのに卒業文集には

「バイクで事故って死ぬなよ!」

「煙草はやめろよ!」

「シンナー吸うなよ!」

などと書かれている。


イメージとは恐ろしい。そして私はこの卒業文集を

自宅の門をくぐらせなかった。永久放棄。

部活をやめる勇気もなく、

ひたすらサボり、ついでに学校も行かずに

土手で詩を書いた。


ところで、私はものすごく嫌いな国語の先生がいて、

そいつが何か、特別な感情を私に持っているような被害妄想があって

顔も見れなかったので、いつも顔を手で隠して授業を受けていた。


国語の成績が良かった頃

そいつが私を教室の前に呼び出して、「学年で3番だった。長嶋と同じ番号」

などと意味不明なことを言って来たときの息がものすごく不快だったのがはじまりだ。


その後、童話を授業で書いて、

それをそいつにコンクールに出さないかと言われた時

もしかしたらコンクールは

何か変なことをする理由なんじゃないかと勝手に勘ぐり

童話を書いた原稿用紙を学生かばんに忍ばせながらも

コンクールの締め切りが終わるまで、「忘れた」と言い続けた。


お陰様で国語の成績ががくんと落ちた。特に授業態度。


また私が授業中あまりに不自然に顔を隠すもんだから

机を蹴られたり、学年集会ではマイクを通してみんなの前で立たされ怒られたり

授業をサボれば親を呼び出され、なぜか担任でもないそいつがしゃしゃり出て

校長室で、一緒にさぼった友達の親に

「おそらくマーゴさんが誘ったんでしょう」などと入れ知恵をされた。


でもなぜかそいつは学校の人気投票で1位の先生で(嫌いな先生3位でもあったが)

私の友達はみんなそいつが好きだった。


そいつは数年前に40代の若さで死んでしまったと聞いた。

だからこれ以上死んだ人の悪口は書くのはやめよう。


最後に私は最初に彼の息が不快(臭かったわけではない)だっただけで

なぜあれほど毛嫌いしてしまったのか今でもわからないでいる。


地区大会以来、

部活動ではみんなに仲間はずれにされるようになった。


2人で組んでする練習なんかは気まずかった。

不思議と、試合にはずされていた優ちゃんは

たまに「一緒に走ろう」と声をかけてくれたりした。


中学2年の終わり。


バスケ部のコーチが私のクラス担任になった。

チビでハゲのおじさんだけど、

怒るとパイプ椅子を投げたり、下手なプレーをすれば

女でも平手打ちをする怖い先生だった。


私は、バスケ自体は好きだった。


シュートもうまく入るし、

なんとなく試合の流れも読めてて、

当時は高校に入ってからもバスケを続けようとさえ思っていた。



ところがある日

練習中に、レギュラーの女の子がコーチにひどく叱られていた。

「なんでシュートはいんねーんだよ!!」

膝を蹴られて泣いていた。


遠くでみんなが同情の眼差しを送る中、突然コーチが私を呼んだ。


「マーゴっ!!お前が見本見せてやれ!」


シュートは下手ではない。

でも、なぜよりによって私を呼ぶの?

どうして私が仲間はずれなのをわかってくれないの??

後からまた文句言われるかもしれないのに…


不安を頭に募らせながらシュートを何本か打つ。

背中にほかのメンバーの視線を感じる。


それからすぐの試合、私はまたレギュラーに戻っていた。


何試合か重ねていくうちに

バスケが段々楽しくなってきて、確か何かの試合でMVPも貰ったと思う。

ボールの取り合いで人と取っ組み合いになって

絶対に取り上げる自分の強さにも少し酔っていた。


ある日の試合、

私達は強豪相手に接戦の末、負けた。


私のマークの相手がとにかく得点屋だったので、

試合中はその選手の封じ込めに徹した。

相手が怒るほどべったりくっついて離れなかった。

私は調子がすこぶるよく、ガードながらに点数を重ねた。


結局は負けたので

試合後、コーチはまた真っ赤になりながら怒った。


男女共々正座させられた。

コーチはつばを飛ばしながら試合を振り返り、こう言った。


「一人だけナイスプレーしたやつがいる。お前だ、マーゴ」

「お前ら、マーゴが今日の試合で何してたかわかってっかー??」


コーチが私のプレーを振り返り始めると

私は、怒りで顔が真っ赤になってきた。


なぜ褒められているのに怒りかって?


私の頭はちょっとおかしいんだ。


このままだと、またみんなに嫌われる。

最近ようやく普通に接し始めてきたのに、

もう少し頑張れば、楽しく部活に来れるのに…

もうこれ以上言わないで。


いつのまにか私はコーチをものすごい形相でにらみ始めていた。

そしてそれに気付いたコーチは

「何だその顔は!」と鼻息を立てた。


コーチに褒められた私を見て、しかも自分達はくそみそに言われて

当たり前だけどその後のみんなの態度は、

想像以上に冷たいものと化した。


その頃私はもう憧れのグループはどうでもよくて

ただ、仲間はずれにされる恥ずかしさや寂しさの方がつらくて

朝起きるのも段々辛くなってきた。


中学2年の終わりか3年のはじまりだっただろうか。


ある冬の朝練、

パス練習の相手がいなかった私は

「仲間に入れて」という言葉すら出す勇気もなく

ゴール脇の壁にボールを叩きつけてシュートを打つ、

そんなことを繰り返していた。


しばらくして見ると、部員は走っていた。


私の存在がまるで空気のようだった。



その日から私は部活に行くのをやめた。

ついでに学校もさぼったりするようになった。

私は中学受験に失敗した。


希望通り皆と同じ公立中学に入った。


私がバスケ部に入ったのは、

小学生の頃から憧れながらも入れてもらえなかったグループのメンバーが

こぞってバスケ部に入ったからだ。


違う小学校からもバスケ経験者がいたりして

みんな上手かった。


私は小学校の陸上記録会のようなことが無いように

一生懸命練習して、自分をアピールした。


先輩は、私が憧れているグループの面子をとても気に入って

練習中もその子達を呼んで、先輩の練習に混ぜていたりもした。


もちろん、それを遠くから眺めてはうらやましい気持ちで一杯の私は

ひたすら練習を重ねて、みんなと同じ土俵に上がろうとしていた。

でも、先輩は人で選んでいて

私がグループに入ることは1年近くなかった。


1年生の終わりに、地区大会という市よりも少し大きな規模の大会があった。


コーチがレギュラーを発表した。


思いもよらぬことに、

私はレギュラー5人のうちの一人に選ばれていた。


ほかのメンバーはみんな、憧れのグループの子達。

私は嬉しくて、早速4番という格好いい数字のユニフォームに袖を通した。


作戦会議中。


ほかのメンバーがコーチに訴える。


「なんで優ちゃんがメンバーじゃないの?」

「優ちゃんと練習してたから、突然メンバーが変わっても困る」

「優ちゃん…じゃなくて、あ、マーゴか」


私の存在にみんなが苛立っている。

先生はそれを一喝して、コートへ私達を送り込んだ。


そんなもんだからパスなんてなかなか回らない。

試合は全然上手くいかない。


みんなは優ちゃんを望んでいる。

私の憧れるメンバーが楽しめていない。

私は邪魔なんだ…


走りながらも頭がぐらぐらしてきた私は、

なんだかここにいることが恥ずかしいような気がしてきて

途中からせっかくもらったボールをわざと落としたり相手にパスをした。


見かねたコーチは選手交代をした。


私の代わりに入る優ちゃん、

いくぞー!と気合いがみなぎるほかの選手達。


これでよかったんだ。


私なんかがいっちょ前に試合に出ちゃいけなかったんだ。




そう。

時に私はとても臆病になる。

自分を思いきり過小評価して、要のところで力を発揮できない。

この時から既にとても弱い人間だった。