名を残す料理、系譜を残す料理 料理研究家として名を馳せている人は、思いの外、沢山居る。 テレビ、出版、SNS。 今は料理が「見られる」場には事欠かない。 だが、 料理が引き受けられているかとなると、話は別だ。 料理とは、本来、 毎日、誰かの体を預かる仕事である。 うまい・きれい・早い、以前に、 「続けられるか」「裏切らないか」が問われる。 その重みは、 現場に立った者にしか分からない。 料理の世界で、 静かに尊敬され続けている人たちがいる。 共通点は明快だ。 ・台所の当事者であったこと ・生活として料理を引き受けてきたこと ・自分一代で終わらせなかったこと 派手な肩書きよりも、 その人の家の台所に、答えが残っている。 興味深いのは、 そうした料理人の多くが、 「嫁」という立場から料理を深めていることだ。 嫁ぐ、とは、 技を見せることではない。 暮らしを回すこと。 家族の体調を引き受け、 失敗が許されない日常に立ち続けること。 この経験を通らずに、 料理を語り切ることは出来ない。 さらに言えば、 その家に、次の世代が料理を継ぐという事実。 息子の嫁が、同業を選ぶという出来事。 これは教育でも、強制でもない。 説得力の結果である。 毎日の所作が、 刃の扱いが、 食べる人への敬意が、 無言のうちに伝わっていたということだ。 料理の神は、 技を誇る者よりも、 食を渡す者を見ている。 包丁の神が微笑むのは、 名声を得た瞬間ではない。 火と刃を、 次に手渡した、その時だ。 料理は、文化であり、信仰であり、 なにより生活である。 名は消えても、 系譜は残る。 私は、 そういう料理に、 静かに頭を下げたい。