「閉会式のあとの片付け」 肺気腫と糖尿病。 医師から助言を受け、出来ることから始めようと決めて、まだ二日目の夜だった。 夜の食事を終え、摂取したエナジーを軽く燃やすつもりで外を歩いた。 速くもなく、遅くもなく。 ただ、呼吸を乱さない歩幅で。 料理人は、火を入れ過ぎない。 身体にも同じことが言えると、ようやく腑に落ち始めていた。 帰宅すると、軽い眠気が来た。 抗わずに横になり、気がつけば、うたた寝のように眠りに落ちていた。 夢の中で、僕は小学校の運動会を観に来ていた。 競技には出ていない。 ただ、少し離れた場所から、静かに見ている。 閉会式が終わり、人の流れが引き始めた頃、 自分が陣取っていたゴザの上の私物を片付け始める。 料理で言えば、営業後の片付けだ。 包丁を洗い、俎板を立て、火元を確認する。 当たり前の所作。 ゴミをまとめ、持ち帰ろうとした時、 ふと、周囲に目が行った。 目につくゴミがある。 自分のものではないが、気づいてしまった。 「序に」 その一言で、手を伸ばした。 すると、範囲が広がる。 一つ拾えば、また一つ。 いつ終わるのか分からなくなる。 厨房でも、同じことがある。 自分の持ち場だけ整えればいいと分かっていても、 隣の乱れに気づけば、つい手を出してしまう。 気づく者の性(さが)だ。 それでも黙々と続けていると、 いつの間にか、景色が変わっていた。 全校生徒が、ほうきやチリトリ、リヤカーを手に、 それぞれの場所で、片付けを始めていた。 誰かが号令をかけたわけではない。 怒号も、説教もない。 ただ、皆が自分の持ち場を理解し、 手を動かしている。 その光景を見て、 なぜか、胸の奥がふっと緩んだ。 微笑ましい、と素直に思えた。 僕もその一員として、自然に混ざり、 同じように片付けを続けた。 終わる前に、目が覚めた。 目覚めた後、身体は不思議と軽かった。 焦りも、不安もない。 この夢は、 「まだ終わっていない」という警告ではない。 むしろ、 「一人で背負わなくていい」という合図だと感じた。 料理は、一人では完成しない。 火を見る者、切る者、洗う者、運ぶ者。 役割が分かれて初めて、場は回る。 身体も同じなのだろう。 息、血、筋、内臓。 すべてが連携して、今日を生きている。 無理に追い立てず、 壊れるまで使わず、 終わったら、きちんと片付ける。 今の自分に出来るのは、 それだけだ。 走らなくてもいい。 競わなくてもいい。 閉会式のあとの片付けを、 静かに、丁寧に続けていけばいい。 それで、十分だ。