内臓の変化が心の変化なんですよ | ノイズのなぐさめ

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基本的には、内臓の変化が心の変化なんですよ。視角、聴覚、臭覚、味覚、触覚といった、いわゆる五感を第一義的につかさどるのは脳ですが、心情を第一義的に司るのは臓器なんです。
 実をいうと、僕は三木成夫の本を読んで、「あっ!」と思ったというか、自分なりの言語論を展開する上でも、大いに示唆を受けたんです。
 僕の言語論には、僕がつくった「指示表出」という言葉と、「自己表出」という言葉とがあります。「指示表出」と「自己表出」は、いずれも、言葉がもつ機能です。僕なりの言語論でいえば、言葉いは、この二つの側面があるわけです。
 「指示表出」の典型は名詞で、「木」といえば、「木」をイメージする。そこには、指示性があります。イメージするというのは、脳があるからです。脳の機能によって、イメージしているわけです。つまり、「指示性」は、明らかに脳が司る感覚的な認識によるものだということです。
 一方、「自己表出」というのは心の表現です。「あっ!」といった感嘆詞などが、その典型です。そこには、別に指示性はありません。「自己表出」は、"自動表出"といっていいくらい、内臓からくる「臓器感覚」なんです。三木成夫によれば、心は内臓の動きに結びついた表出である、と見なすことができますからね。それは、「指示表出」のように、脳の機能によってイメージされるものとは違うんですよ。
吉本隆明『超「20世紀論」下』アスキーP64-65