精神的側面をさすエネルギー概念 | ノイズのなぐさめ

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リビドーは、ラテン語で欲望、羨望をあらわす。A.モルが自著の中で性的な欲望をさしてもちいたものを、精神分析学を創始したフロイトが転用し、性の欲動の精神エネルギーをさすための用語としてとらえなおしたものである。精神分析学では、性の欲動をせまい意味の性欲(身体の性的興奮)に限定せず、むしろより広く愛の満足をもとめる欲望ととらえる。それゆえ、リビドーもまたたんなる性欲のエネルギーではなく、むしろ性愛の満足をめざすという精神的側面をさすエネルギー概念である。

II リビドーの備給(カセクシス)


リビドーは量的に増大したり減少したりするエネルギー概念であり、それが何にむけられるか(備給されるか)、どのように蓄積、放出されるか、何におきかえられ加工されるかという観点から、精神分析理論の構成において重要な位置を占める。まず、リビドーが何にむけられるかの方向によって、自我リビドー(自己愛リビドー)と対象リビドーに二分される。

精神分析理論によれば、リビドーは発達初期には自他未分化で、全能感に支配された原初的自我に備給されており、これを1次的自己愛リビドーとよぶ。それが、発達がすすむにつれて外的対象(たとえば母親)に備給されるようになる。これを対象リビドーとよぶ。たとえば、相手に恋愛感情をいだくということは、対象リビドーがその相手に備給されたということを意味する。ところが、自我は外的対象との間で摩擦や葛藤(かっとう)を経験すると、対象リビドーを自我の内にひきもどす。このように自我に撤収されたリビドーを2次的自己愛リビドーという。

精神分析学においては、精神病者の場合はこの2次的自己愛リビドーがふたたび対象にもどれなくなって自我の内部に鬱積(うっせき)し、その内部で過剰となるために自己誇大妄想や心気妄想が生まれると考える。また対象への備給がおこなわれないために、現実への無関心や内閉的態度が生まれるとされる。