Sarajevo Bosnia and Herzegovina July 2006
2006年7月 ボスニア・ヘルツェゴビナ サラエボ

ユーゴスラビア解体時の独立紛争で大きな被害がもたらされた首都、サラエボを訪れた。



クロアチアのオシイェクから夜行列車で移動。
国際夜行列車であるのに客車1両きりで、通路も満杯の乗客に驚き、しかしながら定刻到着、発車にも驚いた。

運よく6人用のコンパートメントに座ることができたが、
そこにアメリカ人の若者と、ムスリム人、クロアチア人がやってきた。
酔っぱらったクロアチア人とムスリム人がアメリカ人を虐めだす。
「Fuck! Bush!」と大声で叫び、絡み、朝サラエボに着くまで寝ることができなかった。

サラエボ鉄道駅にて、朝から仮眠できる宿を探そうとすると、
日本人客を送り出す女性、ヤスナと出会う。
今から仮眠付きで宿泊させてくれると。
サラエボーモスタル間で彼女たちは電話でやり取りをし、今日本人がそちらに向かったと、情報提供しあっていた。

仮眠後にヤスナ同伴でサラエボ市内を散策する。
途中ムスリム人の老女に逢う。
彼女は紛争時、長男がセルビア人勢力に車から引きずり出され、
目の前で射殺されたという。

ヤスナの友人のクロアチア人の女性は両足を地雷でなくし、義足で歩いていた。
60歳をとっくに超えたように見えたが実際は41歳だった。
障碍者カードを見せてくれ、コーヒーを奢ってくれた。


紛争後10年経っていたが、首都にも関わらず廃墟、蜂の巣のままのアパート、戦車等放置されたままの場所も多い。


紛争時埋葬場所がなく、墓地にされた広場が広がる。


サラエボからセルビアのベオグラード行のバスは、セルビア人地域のスルプスカ共和国側にあった。
まだ「見えない国境」があると言われていた。
緊張したが、ヤスナがタクシーで付き添ってくれて安心をした。
スルプスカ共和国に入ると文字がキリルアルファベットに変わった。
バスに乗り、ベオグラードへと移動、ヤスナと別れをした。

サラエボオリンピックが1984年、紛争が1992-1995年。
紛争のほうが最近なことに違和感を感じる。

昨日派遣会社登録時に突然の恐怖感に襲われ、
寝込んでしまった。

もういい年。
いつまで続くのか。
良くなる努力は惜しまなかったつもり。

それを年齢と年月が追い越していく。
焦るばかりの心を静める。
Pecs, Hungary July 2006
2006年7月 ハンガリー ペーチ

レンタカーでクロアチアのザグレブからオシイェクまで来た。
週末になってしまい、レンタカーを返せず、1日時間ができてしまった。
宿の主人に尋ねると、ハンガリーの古都、ペーチへの日帰りを勧められる。

旅行記

島国日本では感覚のない、外国への日帰り旅行
ハンガリーに入ると、5台に1台スズキの車とすれ違う。
片道1時間半のドライブでした。