一年前は新元号は何かの話題で賑わっていた日本列島、一年後の日本、いや世界が、コロナパニックに陥るとはだれも予想できなかったこの現状。

こんな時、占いや予言を生業としている類の方々が何も発信しないことにガッカリな猫娘です、こんばんは。

 

 

さて。ちょうど一年前の今日、人生初となる入院をした。

その数日前までは頑なに「入院は嫌だ」と言い張っていたのだが、24日のお昼ご飯(春雨スープだった)を最後に何も食べられずポカリすら飲めなくなった身体に正直「ヤバい」と感じた私は、外来前夜、朦朧としながらボストンバッグに入院中必要であろうモノを詰め込んだ。猫様とのしばしのお別れに涙しながら。

 

外来当日、紹介状とともにUC専門医に診てもらい即入院となった。この専門医が今も診てもらっている信頼できる主治医なのだが、入院中の担当医は別でこれがポンコツだった。

治療方針等は専門医が全て決めていたようなので心配はなかったのだが、ポンコツ担当医はいつも2~3人の部下をぞろぞろと引き連れ「どうですかー」と顔を出すだけでろくに「私」を診なかった。

 

入院初日の夜、3人のドクターが代わるがわる来てくれた。三者三様の台詞は一年たった今でもよく覚えているので記録しておこう。

 

まず、外来を終えた主治医が病室に来て声をかけてくれた。

 

明日からステロイド治療を始めたら楽になっていくと思うから頑張りましょうね。痛みや吐き気がひどくなったらそれらの薬を投与するから看護師にすぐ言ってね。

 

患者が落ち着くような声と話し方でとても心強かった。

 

この数分後、ポンコツ担当医が初めましての挨拶とともに翌日から行う検査の書類をたくさん持ってきて、署名するよう指示した。

どれくらい入院が必要かという質問の答えが、

 

最低2週間。ステロイド治療の寛解率は7割でダメなら次の薬に進みます。私が診た患者の中で最長は4ヶ月でした。

甘い考えは持たないように。

 

当初何の知識もなかった私は、「UCの特効薬」なるものを使えば一週間くらいで治るものだと思っていた。(地元の病院で「安倍さんは特効薬であんなに元気になった」と医者から聞いたんで、そんな間違った解釈をしていた)

この希望の持てない台詞に「コイツ嫌い」と私の脳内で即座に分類された。

私の症状を「重度」以外知らない初めましての担当医がこんな冷たい言い方をすることに驚いたし、少なくとも初めての入院で不安な重度患者に対して言う台詞ではないだろう。

「甘い考えは持たないように」

心身ともに衰弱していた私の心に刺さったこの台詞は入院中何度も私の頭の中でリピートされ、先が見えない病床で大きなストレスとなって夢にまで出たきた。

 

ポンコツ担当医に撃沈した後、今度はポンコツ担当医の部下で若いM先生が挨拶に来てくれた。

 

今しんどいですよね、ごめんね、挨拶だけさせて貰います。明日から治療一緒に頑張っていきましょうね。

 

優しい話し方で、ポンコツ担当医の後だったから余計「一緒に頑張ろう」は嬉しい台詞だった。うん、M先生は将来良いドクターになるよきっと!(何この上から目線w)

 

入院中の私にかかわるドクターは書類上この3名だった。ポンコツ担当医が引き連れる部下はまだ数人いて、私にかかわる「チーム(?)」は5~6人いたと思う。

 

この日から45日と言う想定外の長い入院が始まるのだが、入院前を含み絶食は31日続いた。

 

「春」を感じる余裕もなく、朦朧と過ごした昨年と打って変わって今年は気持ちいい春を迎えることが出来た。

(これは先日買い物帰りに撮った梅)

 

コロナパニックによる不自由な軟禁生活はまだしばらく続くであろうが、寛解している今の私にそれは難しいことではない。

いつも通り美味しくご飯が食べられる、いつも通り猫様と戯れられると言う「いつも通りの日常」を過ごせることに感謝せねばならないと、この節目に思う。

大人しく引き籠っていればコロナは終息するはずなのであるが、「いつも通りの日常」がどれほど大切かがまだわからない若者には、外出自粛で大人しく過ごすことが難しいのかもしれない。

また一年後の節目に「去年はコロナパニックで大変だったね」と昔話のように笑って話せる「いつも通りの日常」になっていることを願う。

 

 

最後に。

入院当日「行ってきます、良い子にしててね」と言いながら撮った猫様。

まさか45日後、顔見て逃げられるとは思ってなかったよ笑い泣き