Das Kloster Hirsau(ヒルザウ修道院) | long journey

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ふわふわと漂いながら・・・。

修道院シリーズ。

 

ヒルザウ修道院に行って来ました。

ヒルザウに最初の修道院が建設されたのは838年。1000年以上前です。

現存する聖アウレリウス修道院は1059年に最初の修道院の基礎の上に建てられたそうです。

その聖アウレリウス修道院は,博物館が併設されています。

マウルブロンやベーベンハウゼンとは異なり,ベネティクト派の修道院です。

 

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聖アウレリウス修道院の内部はとっても暗かった。

石造で,窓を大きくとる建築様式になる前の建物のため,日の光が弱々しくしか入って来ません。

 

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静謐な空間でした。

 

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こちらの廃墟群は1082年に聖アウレリウス修道院とは川の対岸に建てられた修道院の一部。

聖ペテロとポール修道院は基礎の石垣しか残っていません。

 

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こちらは元々の修道院長の館。宗教改革後,ヴュッテンベルグ家の狩猟用の館になったそうです。

 

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奥に残っている建物が見えます。

 

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聖マリア礼拝堂。1508年から1516年にかけて建築され,1888年から1892年にネオゴシック様式に改築されています。

 

 

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美しいステンドグラス!アーチ型の天井も素晴らしいですね。

 

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木の説教壇。

 

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柱には12使徒が。

 

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ヒルザウ修道院は修道院改革において大きな影響力を有した修道院だそうです。

修道院改革といえばフランスのクリュニー修道院が有名ですが,ドイツでもその動きはあったんですね。

 

 

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十字架がある場所が,聖ペテロとポール修道院の祭壇があった場所。

 

ルイ14世による9年戦争の際,フランス軍に焼かれて,廃墟となったのでした。

宗教改革によってプロテスタントの神学校になったり,ヴュッテンベルグの館になったりした挙句,フランス軍に焼かれ,廃墟の石は街の人が,街の再建(街も焼かれた)のために持ち去ったのだとか。

ありし日の栄華を思うと切ないですね〜。

 

 

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博物館にあった模型。

 

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左奥のKloster Cafeに行こうと思っていたら,前日から夏休みでした。

ちょうどその張り紙を見ていたら,ドイツ人ご夫婦がやってきて,奥様が,あら夏休みだわと,おっしゃって,私も,昨日からお休みでタイミング悪かったですと言ったら,旦那様の方が,あっちに開いているカフェがあるよと教えてくれました。8月のヨーロッパはお休みのところがおおくて思い通りにはいかないですね。