{C181A67C-FA19-4B5A-B370-CDED0DCF746E}

第一部

 

刺青奇偶

 

後から後からじわじわ浸み込んでくる作品。

2016年12月に観た「吹雪峠」と同じ作者、長谷川伸の作品と知って、納得。

作風なのか玉三郎さんの演出なのか、好きな雰囲気。

歌舞伎役者が演じるからこそ生まれる独特な余韻、場面の美しさがあるような気がする。

 

吹雪峠の顔合わせが気に入っていたので、中車さんの半太郎と七之助さんのお仲はうれしい取り合わせ。

出会ったときの他人同士のふたり、お仲の死が迫るなかお互いを思い合うふたり。

刺青を彫る場面は、思わず息をとめて見入ってしまう。

病身のお仲の横顔は、ひたむきで美しい。

最後まで半太郎のことを、自分がいなくなった後の半太郎のことを、思っている。

半太郎もそんなお仲のことを思っているのに、思っているが故の、博打。

博打で願いを叶えようとする、変われない半太郎。

幸せになってほしいけれど。

間に合ってほしいけれど。

そんな願いの結末はわからないまま、幕が引かれる。

 

半太郎親子も、もう少しで再会できそうなのに、できない。

すれ違う。

お互いがお互いを思っているのに、すれ違う。

 

政五郎に驚いた。これ、染五郎さんだよね、と。

抑えた声、演技。

今の政五郎さんも好きだけど、老成していく先の魅力を考えたことがなかった。

俄然楽しみになってきた!

一緒に観劇していた母、伯母も、「ちょっと、あの、最後の!親分、誰?良かったねぇ」って、やっぱり血は争えない。

 

 

玉兎

 

勘太郎くんがひとりで踊る!

すでに2月の初舞台でも、弟の長三郎くんに気を配りながら舞台を務める頼もしさがあったけれど、今回はひとりで踊ると知って、絶対観ようと決めていた。

 

初めて歌舞伎座に足を踏み入れた日、勘太郎くんが間近で踊るのを偶然目にした。

一番後ろの通路沿いの席、「土蜘蛛」でお父さん(勘九郎さん)が踊っているときだけひょこっと現れて、勘九郎さんを真似て踊っていた。周囲を気遣うお母さん(前田愛さん)と対照的に、勘太郎くんは踊りに夢中。

そうか、こうやって歌舞伎の血は受け継がれていくのかと目の当たりにした。

それが、一年後、今年は歌舞伎座の舞台の真ん中で、ひとり。

真っ暗な舞台の真ん中に、黄色いまんまるお月さま。

まんまるお月さまの中から、お餅をつく兎のシルエットが飛び出してくる。

 

堂々と、決めるところは決める。

月の兎は愛らしく、狸をやっつける兎はきりりと。

音楽を感じさせる身体の動き、これは勘九郎さん同様、観ていてわくわくする踊りを魅せてくれる役者さんになるのでは…と期待が膨らむ。

楽しみだなぁ。

そして、こうやって抜けられなくなっていくんだな…

 

 

団子売

 

待ってました!な団子売夫婦、勘九郎さんに猿之助さん。

もう、このふたりが踊っているのを観ていると、うれしくて楽しくておなかいっぱい。

 

歌舞伎を観る前は、舞踊はお芝居よりもわかりづらいのかなと思っていたけれど、そうじゃなかった。

理屈抜きに、身体の使い方、魅せ方に感嘆してしまう。

特にこのふたり、勘九郎さんに猿之助さん。

それぞれの踊りの個性が、並んで踊るから相乗効果。

このふたりの身体にはバネが仕込まれているんじゃないかと思うような、小気味よい、切れのあるしなやかな動き。

手先まで美しい形なのはもちろん、とにかく、観ていて楽しい。

 

団子を作りながら踊ってみせる、いってみれば団子屋夫婦のストリートライヴ。

いいなぁ。あのふたりが踊るんなら、毎日お団子買いに行っちゃう。

衣装も素敵。

ぱきっと鮮やかな紫にそれぞれの紋が染め抜かれ、片袖を外すと、赤と紫のコントラストがひときわ目を引く。

お多福とひょっとこの面を着けて踊るあたりから、どんどん音楽も動きもアップテンポに小刻みになって、場内のテンションも上がる上がる。

 

拍手喝采で第一部終了。カラリ晴れやかな後味がまた、気持ちいい。

ごちそうさまでした。

 

 

{D0861F9F-DAF1-44F7-846B-DC706106C3AA}

第二部

 

修善寺物語

 

幕が開くと秋の風景。

第一部の玉兎も秋の設えだったけれど、修善寺物語も秋の風景。

川の場面のセットは特にきれいだった。

水面に映る朧月の光が揺れていた。

あれはどうやっているんだろう。

 

川の場面で月が出るのは頼家と桂が連れ立っている間だけで、なるほど月の有無でその場の空気も演出するのかと。

月が出ていないときには、お供の会話だったり、物騒な輩が襲ってきたり。

だからこそ、月の揺らめきで、頼家・桂ふたりだけの限られた場面をより印象づけているんだろうな。(この後の頼家は、会話の中で暗殺されたことがさらっと伝えられるだけ…)

 

面作師 夜叉王は、善人悪人どちらも似合う彌十郎さん。

物語前半では、自分の仕事に誇りを持っている職人であると同時に、娘たちへの愛情がにじむ父親の顔。

けれど、最後、夜叉王の作った面を着け頼家の身代わりとなった桂が戻ってきてから。

自分の作った面は決して不出来だったのではない、頼家の未来をも面に取り込み、作り上げていたことを知った、その後からの変貌。

父親の顔は消え、娘の死に際をも作品づくりのために描きとめようとする、創作への執念に憑りつかれた職人の顔。

 

そして、そんな父に対峙する桂の気迫。

猿之助さんの桂が、単に気位の高い姉娘というだけではない、夜叉王の狂気に引けを取らない芯の強さをみせて、この父にしてこの娘あり、と最後のあの一場面で思わせてしまう。

父親同様、自分はこう生きる、という信念を貫いていて、静かに始まった物語の最後、ぎらぎらと向かい合うふたりの姿が目に焼き付いた。

 

 

{B13BE206-118B-4044-9E22-0423336C3926}

歌舞伎座捕物帖

 

いきなりどーんとスクリーンに松竹富士が映し出されて、去年の弥次喜多のダイジェスト。

去年初めて弥次喜多を観たときは、歌舞伎ってこんなのもアリなの!?と思わず呆然したなー。

今年は今年で、舞台上で起こる殺人事件の謎解きと一緒に、舞台の仕掛けや裏話、名場面が楽しめて大満足。

歌舞伎のエンターテインメントな魅力をギュウギュウ詰め。

まさか、しょっぱなから宙乗りで登場するとは。

ボロボロの格好で3階席から降りてくる弥次さん喜多さん!

スクリーンから抜け出したみたいでうれしい。

と興奮してる間に、すぐそばの通路を「あーーー暑い暑い」と、聞き覚えのある声が通り過ぎていく。

うわ勘九郎さんー!

続いて、弥次喜多に絡まれる虎吉に呼ばれて梵太郎・政之助コンビが登場し、お決まりの「わが子も同然!」「親類も同然!」にどっと沸く。

赤姫姿で怒鳴り散らす伊之助、毎回昆虫の話を始める座元の釜桐座衛門。

(わたしが聞いたのは温暖化による昆虫の北上と、タガメと…あともうひとつ、なんだっけ。

Eテレのみならず、歌舞伎座でも昆虫分野で活躍する中車さん…!)

登場人物のキャラがあっちこっちで弾けて、隅から隅まで楽しいお祭り騒ぎみたいな演目。

 

謎解き役は猿弥さん演じる古原任三郎に、梵太郎・政之助。

梵太郎・政之助コンビは去年より一回り大きくなっていた。

身長も、存在感も。

おっとりしながら直感の鋭い若さまと利発なお供の政之助、個性の違いがいきいきと役に反映されて、まさにうってつけ。

対比がより舞台を盛り上げるのかな。

しっかり者の梵太郎・政之助コンビと、ぐだぐだの弥次喜多コンビ。

どっちもあるから面白い。

千秋楽の弥次喜多は、最初に観たときに輪をかけてぐだぐだ。

そのぐだぐだ具合がまた、弥次喜多らしい。

 

(最後に綾人のめまいが治って車椅子から立つ場面、あーこれはあの台詞を言いたくなるな、と思っていたら、喜多さんが小声で「クララ!」。あの、しれっと呟く感じがツボ。)

 

弥次さん喜多さんには毎年会いたいなぁ。

 

 

{71F22779-A29B-4F67-A20B-1AFF84AE27F4}

第三部

 

野田版 桜の森の満開の下

 

この舞台を観ることができてよかった。


野田さんのこともよく知らないし、今までの「桜の森」も知らない。

散りばめられたテーマも全然拾いきれないし、何が正解なのかわからない。

知らなくても、わからなくても、理解しきれなくても。

観終わったときに自分の中で感情が暴れている。

なんて言ったらいいのかわからない。

泣きたいのか喜びたいのかわからない。

今いる場所を桜の森に見立てて見境なく走り出したいような、いやその衝動はこの桜の木の下から一歩も動かずに抱えるべきものと考え直すような。

そもそも「観終わる」というのが違うのかもしれない。

終わらせたくない、とずっと思いながら帰途につき、眠りについた。

夢の中でまたあの物語の幕が開かないか、「夢の、ようですー!」とニカッと笑う耳男が現れないか、誰かが桜色の薄布をすうっと引いてくれないか。

 

きっとわたしは突きつけて欲しいんだと思う。

その人がその作品を作るのに注ぎ込んだ想いを。

その想いで、わたしをまるごと呑み込んでほしい。

舞台は生ものというより生きものだ。

最初、幕見席で観たときに、もうこれは完成されているんじゃないかと思ったけれど、公演期間中にむくむくと成長し、千穐楽ではぐっと陰影を深めたバケモノになっていた。

 

桜の森は夜長姫。

千穐楽の夜長姫がいちばん怖ろしくて、いちばんやわらかい顔をしていた。

あんな怖ろしい狂気の塊が、耳男の手にかかってぽとりと面が落ちるともう、こんな無垢な微笑みは見たことがないような、やさしいやさしい顔をしている。

その顔を見て、覚るのだ。

何がどうとか細かい辻褄はさておき、覚るのだ。

そんなヒメの顔だった。

 

夜長姫ありき、とはいえ、これは、耳男と夜長姫の物語。

だから、七之助さんの夜長姫に勘九郎さんの耳男がいたこと、勘九郎さんの耳男に七之助さんの夜長姫がいたこと、良かったなと思う。

あまり作品を観ているときに役者自身の情報を重ねたくはないけれど、今回はこのふたりで良かったと思った。

対になるのが自然なふたりの、鬼と人。

 

「鬼の息吹きがかかるところがなくなると、この世は駄目な気がすらぁ」っていうマナコの台詞、好きだったなあ。

 

鬼が、良かった。

登場人物でもあり、景色の一部でもある、鬼。

客席に桜の森の空気を運んでくる、鬼。

桜の大木の下に耳男が独り、座り込んでいる。

その桜の森を抜けて、鬼たちがやってくる。

上手奥から桜の森を横切って。

花道を通り、揚幕の奥へ消えていく。

桜の森の冷気を静かに纏って客席へ流していく鬼の道行き。

桜の花の枝が擦れ合うように、頭上を飛び交う鬼の台詞。

鬼たちも桜の森の一部だった。

 

あれ、でも、人が鬼に仕立てられているのかもしれないのか。

あれは鬼だったのか、人だったのか。


夜長姫が、舞台の上だけじゃなく、客席を指さして「ほら、あそこ!見ーつけたっ!」と目を爛々と輝かせる場面。

指差された客席の辺りに潜む鬼を見ているのか、いやもしかしてわたしたち観客を鬼と呼んでいるのか、それとも、鬼でも人でもどっちでもよくて、ただキリキリ舞いを欲しがっているのか。


ふつう、作品の一部になったと感じるときはうれしいものだけど、あれは背筋がゾクッとした。

原作を読んだときにはいまいちイメージ出来ていなかったのが、舞台で観ると一目瞭然。

狂気が生気。

怖いけれど、ときめく。

あのヒメを、見ていたんだな。

耳男は。じっと。

そして、どこまでも坂を下っていこうとしたんだ。

ヒメと、ふたり。

 

巡る思いに涯てがない。

千穐楽から数日経って少しは落ち着くかと思ったけれど、まだまだ、流れ出してくる。

全体をざっと振り返るつもりが、この調子だ。

でも、このざわざわと桜吹雪舞うような胸中は、まだあの森に繋がっているようでうれしかったり。

9月に入ったことだし、そろそろ気持ちを切り替えて… とりあえず、ギャラリーに行こう。

ヤクルト飲もう。


切り替わってないぞ…


いや〜参った。参ったなぁ…


 

{11FA194B-11D0-4194-8463-CEE7C3D1D40F}