Z面の神戸 | 気ままに気楽に

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今日も息をしています。

 

 

俺が生まれたのは須磨の南側の部落でそこにあった同じ苗字の先生がおぎゃーと俺を取り出したそうな。

 

当時は朝鮮部落とか奄美、徳之島部落とか意識なんかウチの両親もしていなかったと思われる。

 

この写真に取られているころだとは思う。洗濯機なんかなくたらいで衣服は洗濯していたように思う。

 

TVはモノクロTV、しかもうちにはなくて集落の家で観させてもらっていたような記憶があるわ。

 

4歳くらい?までいわゆる須磨の妙法寺沿いの断崖絶壁の長屋集落に住んでいたんだわ、妙法寺字アチクチって神戸でも僻地も僻地で今もあるみたいだけど貧困層が今も当時も住んでいる地域だったわ。

 

 

 

ほんまにこんな感じの絵のような処で6畳一間のボロ屋に4人住んでいたんだよ、オヤジは毎日どっかに出かけていて何してる人間かよくわからんかった。俺は兄のワームン人生にもおふくろからも割と可愛がられて、女の子が履く音がなるスリッパなんか履かされたね。今だったらスカート履いてLGBTになってたかもね😆

 

ほどなく両親が頑張って、この貧困巣窟から抜け出し隣の長田区の新興住宅街でしかも学校に近い地区に引っ越しするんだけれどね。ワームンは女の子にも虐められていた弱虫やったけれどね、なんか懐かしいわ。

 

二度とこの辺なんか行きたいとも生活したいとも思わないZ面の神戸だったよ、暇な人は動画を観てください。

 

 

 

川沿いに貧民が集まるんだわな。