血の祝祭日 | 気ままに気楽に

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今日も息をしています。

 

 

 

人間が思考とかをもって文明というものが生まれだしたときと同時にカニバリズムなんてのは存在したかもしれない。

 

例えば、究極の食糧難とかになる戦場とかでは人肉とかしているが、それは動物とかでも起こりうる惨劇であってカニバリズムではないと極私的には思う、いわゆる晩餐とか生贄の類だ。

 

まあその辺の学術的なことは今後語ろう(ほんまかいな?)。

 

1963年ってのは結構、俺的には重要な年だと勝手に思っているのであるがそれはポピュラー音楽の怪物ビートルズが世に出てきたのと同時にスプラッターや今はゴア映画っていうのかな、いわゆるToo Much Bloodな映画が出来た記念碑的な年である、あくまで極私的であるが。

 

この「血の祝祭日」はガキの頃に日常洋画劇場で観た記憶があるが完全ノーカットをこないだアマプラにて視聴した。

 

 

 

1963年にハーシェル・ゴードン・ウィルス監督が制作した世界初のスプラッター映画、ゴア映画である。

 

要はゾンビやら13日の金曜日なんかの元祖かな。

 

異端教の信者のどうも身体障碍者のマッドなおっさんが信仰しているエジプトの女神に対して生贄を捧げるということで若い女性(しかも美人)ばかりを狙い殺害し、その肉体とくに頭部?かなを切り刻んで生贄に捧げるというだけのお話だ。

 

俺らもなんやかんやで菜食主義やヴィーガンの人は除き、牛や豚を屠殺して最終的に動物性たんぱく質を獲るだろう。

 

そのまあ人間版なわけだ。かなりの残虐描写で今ではTVで放映されることは絶対ない映画であろう。今観てもどぎつい残虐描写は色んなスプラッター観たワイでもちょっとなぁってな強烈な描写でただこの映画はコストパフォーマンスがよくて2万5千ドルの低予算に対して400万ドルの収益を叩き出したというから伝説の映画と言われる由縁かもしれない。

 

ごく一部の人は除いて人間の本能はカニバリズムな部分はワイはあるとは思うのだ。

 

「処女の生き血」なんてドラキュラみたいな奴が処女でない女の生き血を吸って絶命するというアホみたいな展開の映画もあったように記憶するが、さえない犯人のおっさんが若い女性を生贄として女神に捧げるってのは別のメタファーがあるような気がしてならないのはあくまでワイの考えではあるけれどね。