アンラッキー・ブルース♯4 金沢和良 | 気ままに気楽に

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今日も息をしています。

 

 

アンラッキー・ブルースって俺は日本選手を記事にしだしたらもうそりゃボクシング関係者ではないけれど、かなりの数が作れます。それはボクシングに限らず野球や他のスポーツにも言えるのですが、一応俺の好きなスポーツは野球と格闘技でとりわけボクシングなんでとりあげるわけで。

 

今さっきまでまあ二度見ですが久々に「あしたのジョー」の劇場映画版のアニメを観たんですがそういやぁ漫画もそうだけれどこのアニメは真剣に観ていたなぁ子供の頃ってホントになんか懐かしかったね。

 

黄金のバンタムという言葉があるのはこのクラス(52kgくらい)に一番競技人口が多い時代があって今でこそウェルター級(66kg)なんですけれど、大昔は一番競技人口が多いクラスで日本選手も強い選手がゴロゴロいた時代ではあるが、俺がボクシングを観だした1970年代初頭は未だ階級も多くなく、認定団体も二つに(WBAとWBC)なったばかりで世界王者になるというだけで至難の業となっていた中でこの階級は当時はファイティング原田が王者になって以来、誰も届かない時代が続いていたからこそ90年代に辰吉丈一郎が壁を突き破ったのは素晴らしい功績だと言えよう。

 

そういう栄華の裏にあと一歩、届かなかった選手ってホントに俺が知っているだけでゴマンといるのですがこの金沢和良選手もその一人。

 

俺は全然知らなかったが、この1971年に行われた再戦試合は当時今でいうパウンド・フォー・パウンド最強と言われたバンタム級の怪物王者ルーベン・オリバレスとの死闘は俺が今まで観てきた国内の世界戦の中でもBEST5に入る感動的な試合で同年の年間最高試合にもなっている。

 

オリバレスと金沢はこの2年前にメキシコで対戦して2RTKOで葬っているみたいだが、又特集記事を組みたいがメキシコって試合を早くストップする傾向があるのでこの試合映像は観ていないがまあでも完敗だったんだろう。

 

金沢選手はこの試合の後に1試合したあと、キックボクシング(当時ブームだった)に転身したりしたがお寺の住職になったってのを聞いたんですけどね、一時期は後進の指導もしていたみたい。

 

自身もボクシング好きでボクシングジムで鍛えた時代があるビートたけしがこの試合が日本の選手が素晴らしい試合を見せた名勝負と言っていたが、俺も同感。決して褒められたスタイルではない玉砕ファイトスタイルだが俺の中ではこの1戦で永遠に金沢和良って選手が脳裏に焼き付きましたね。

 

よく俺の母親が日本選手は頑張るけど撃たれ弱いなんて言ってたけど、違うんだよな。打たれ強いけどまともに被弾するからなんだよ、当時は日本やアジア圏の選手は今では少ないファイタータイプが多かったんでね、しかしこの最後のシーンでコノヤローって叫んでいき突進するが玉砕してしまう、なんかね大和魂をみせてくれた素晴らしい選手でした。