
貧乏ゆえの生き地獄なんてのが1950年代にはあったのであろうか?
今でこそ格差社会とかなんとか言われているが、極論いえばホンマに贅沢せず我慢して我慢してつつましい暮らししていれば労働できる肉体さえあれば生きていける。
この映画の制作年度、発表は1963年であるが誘拐事件を起こした犯人の境遇やドヤや繁華街の描き方は1950年代の戦後と言った時代である。

この映画は自分は黒澤の最高傑作とは言わないけど、台詞やキャメラワークの長回し、エド・マクベーインの原作から着想を得た脚本と云い、ほぼ映画芸術において完ぺきな推理劇ではないかと勝手に考える。
黒澤のヒューマニズムはとかく観る者によってはそんな二元的な考え方はおかしい?という批判もあるかもしれないけれど俺はそういう二元的な視点こそ小説や映画、もっと言えば全ての芸術に通底するモノだと断定する。
仮に大金持ちがより大金持ちや権力者にたいして牙をむく内容のものがあるとしよう。
そういうのは0とは言えないが一般大衆の共感は得にくい。
映画的理想的展開でいえば、片思いが成就するとか成り上がり物語なんだけど現実はそんなに甘くない、どんなに苦学して頑張ってもせいぜい医学の道に進んだとして、余程発明でもしない限り開業医になるか、コネや政治を駆使して大病院の院長につかえる勤務医が関の山。
俺からしたら超エリートなんだけど肯定してはいけないんだがオウム教の一連のエリート崩れとかにこの映画に登場する医学生の犯人に共通する部分は全く感じなくもない。
俺みたいな馬鹿がドロップアウトしても大した犯罪は犯せないが本物のエリート崩れが犯罪を犯すと大犯罪になる。
この映画を模倣し尊敬してスティーヴン・スピルバーグが「シンドラーのリスト」の映像部分で借用したエピソードに関しては俺は是も非もない。
貧困と人種差別はテーマとしてはずれがあるとは思ったが。

この映画公開後、模倣犯が多発し黒澤明の長女(映画作家)なんかも常に学校の送り迎えに警察がつきっきりだったそうだ。
そのくらいこの映画は悪巧みする人間にも訴求するくらいよくできた作品と言える。

身代金受け渡しの列車シーンは当時の一番早い特急列車を借り切ったそうである。
そして人質になったシューズメーカーの常務、権藤の息子を間違えてお抱え運転手の息子との身代金引き換えシーンは国鉄沿いにあった2階建ての家の2階部分が邪魔だということでほんとに2階を取り壊し、又撮影後建て替えしたそうだ。
列車を借り切ったシーンは1発撮りで役者の演技も誰もが緊張感みなぎる。
そして日本映画、邦画史上最大の映画芸術にたいして執念を感じさせる映画でもある。
この映画で沈着冷静な行動をする刑事役の仲代達矢とコンプレックスの塊で自分の境遇を憂い大犯罪を犯す犯人役山崎努のピカレスクロマンが凄まじい迫力で迫る。
ラストシーンの権藤(三船敏郎)に対してわめき強がるシーンは余計に思ったがそういう映画的粗(アラ)をすべて流すほどの迫力とスリルに満ちた20世紀の映画の傑作である。
この映画で脅迫電話で被害者三船に対して、山崎努の「権藤さん~」って語尾を少し上げる話し方が何度聞いても神経を逆なでする響きでムカつく、コレは映画的に、表現として素晴らしい。