手掘り日本史  司馬遼太郎 | 気ままに気楽に

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今日も息をしています。

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以前に一年前以上に司馬遼太郎の本を記事で取り上げたらコメントゼロだったのでこの人の著作の魅力を自分がよう伝えきれないのと同時にあまり読まれていない作家だと痛感しました。
 
よく私が最近、耳にするのが日本の人って自国の歴史を知らない人が多いよねって事です。
 
歴史といっても近代国家が出来上がる前のなんとか時代(奈良時代とか江戸時代とかね)ってのはとりあえず義務教育の範囲内で詰め込むだけのレベルでしたが教えられてきたのでおぼろげながら把握してるのですが、明治から昭和、太平洋戦争あたりのここ60年~100年前の歴史の勉強なんてのがまるで出来ていなくて今更ながらに社会人になってから人づてに聞いて色んな著作を読んで自分なりに解釈した次第です。
 
あまり近過ぎる歴史の話をするとその人のパーソナリティが変な風に解釈されるのを恐れて義務教育や高等教育の範囲内では詳述に教えない先生が圧倒的多数だと思います。
 
で司馬遼太郎なんですが最近、司馬史観って事で明治時代が正しくて昭和が愚かな記述が多いからおかしいとかって論争があるみたいですがソレは別問題でややこしいのでココでは語りません。
 
この本は江藤文夫氏が司馬氏に歴史について18時間聞いた事を後で司馬氏が手を加えて成った本です。
 
まず司馬氏の歴史小説の書き方なんですけどなるべく市井の庶民レベルの考えている処から表現してるという風に私は捉えました。だからこの人の文章は平易で読みやすいのかなと個人的には解釈しています。
 
次に歴史の日常なんですけども現在の感覚で例えば戦国武将の性格であるとか、美人の描写の仕方をしてるみたいです。当たり前の話ですが何百年も時空を移動してその時代の感覚でそういったモノは書けるわけありませんからね。
 
歴史の中の人間に関してもなるたけ現代人に分かりやすい表現というのか例えば楠木正成が現代人からどういうイメージを持った人物なのかハッキリわからんので、土木機械で掘り起こすよりも手掘りした方がより鮮明になるとか天皇を大神主と定義しています。旨い表現だと個人的には思います。
 
他にも日本的正義感とか日本人は元々無思想だったとか独特の解釈をされていました。
 
私は近眼の上に老眼も入ってきてもう10代、20代の頃の様に活発に質量ともに活字は読めなくなってきましたけど某作家曰く音なんてものは身をゆだねるだけの受動的な動きであって一向に興味がそそられない。
そこにはあくまで雰囲気だとか流れのようなもので具象化しづらいので駄目だとは言いませんけど、書を捨て街に出るんじゃなくってまず書を読んで街に出たい方ですね、どちらかといえば。
 
音源を聴けば心が豊かになりイマジネーションが広がって右脳の活性化にはつながりますけど、それに+ささやかながら少量でもいいんで左脳を使う読書ってものを量が減ったとしても一生続けたいもんです。
 
そのグータラな私レベルの人間でも司馬氏の著作は非常に温かみがあって読みやすいので今後も読み続けるであろう作家の一人なんです私にとっては ♪
 
204ページしかないヴォリュームですけど結構中身の濃い面白い本でした、