私のラジオ番組「バンドワゴン」のオープニング・テーマ曲が2005年の新年から変わった。
人気作曲家P.スパークが書いてくれたマーチ「バンドワゴン」である。
私は、その録音の為にドイツへと旅立ち、フランクフルトの空港でスパークと落ち合った。
録音会場で出会ったのが、ディレクターを務めるオランダのピーター・クライネ・シャールス氏である。
オランダの会社デ・ハスケのCD録音は、彼が担当することが多いらしい。
やはりオランダから出向いたミキサーのタコ(Tacoと言う本名)と二人で手際よく準備を進めている。
ドイツ各地から演奏者が集まった。
指揮者の挨拶に続いて、ピーターが録音について概要をドイツ語で説明する。
更にP.スパークと私も紹介された。
ミキシング室に陣取るピーターとタコは指揮者用スコアをめくりながら作業を進める。
演奏の間違いやズレ、バランスの乱れをチェックするペンが的確に動き、止ることがない。
「お主、出来るな!!」
これが第一印象だ。
4日間、三食を共にすれば親しくもなる。(私との会話は英語・・・)。
実は、彼は作曲家であり、オランダ警察音楽隊の指揮者だったのだ。
スコアを追う目が指揮者のようであると感じたのは正しかった。
オランダ警察と言えば翌月、パリのシャンゼリゼ劇場で開催される 「世界のおまわりさんコンサート」に出演することになっている。
私も一旦帰国後、改めて取材に行く予定だったので、再会は1ヵ月後のパリであった。
今度はレコーディング・ディレクターではなく、指揮者である。
バンドもクラシックからポップスまで手馴れた演奏で、満場の聴衆を沸かせていた。
この日を皮切りに3日間、パリ市内各地でのコンサートを終え、 セーヌ川を走る観光船のディナー・クルーズが出演バンド全員の打上げパーティである。
(何故か日本の警視庁音楽隊からの招待ではなく)オランダ警察のピーターとパリ警視庁に招かれ、私も各バンド関係者と交流することが出来、大変有意義だった。
そして彼と次にあったのは2日後、アムステルダムの空港である。
私はかねてからオランダに訪れたいと思っていたが、その夢が実現したのも彼のお陰だ。
目的はオランダ海兵隊バンドを訪問することだったが、チャンスがなかったのだ。
オランダ有数の吹奏楽団であり、数々の名演CDを残しているバンド。 我が「バンドワゴン」が2005年以前、長年使用してきたオープニング・テーマも彼らの演奏だ。
このバンドに訪問したいと、ドイツ滞在中、ピーターに相談したが、自国に戻った彼は、この訪問をアレンジしてくれていた。
後で分かった事だが、かつてピーター青年がトロンボーン奏者として入隊したのが海兵隊バンドであり、 やがて作曲の勉強のため大学に復学し、その後、アレンジャーとして再び戻ったバンドもこのバンドだったのだ。
信望の厚いピーターの人柄は、訪問したバンドのメンバーの話からもよく分かった。
現在は指揮活動の他、作曲活動を行っているが、彼は今までの吹奏楽作品にはなかった新感覚の作品を書き始めている。
きっと日本でも有名になるに違いない。
只今、ゲスト・コンダクターとして迎えてくれる日本のバンドやオーケストラを探している。
補足:アムステルダムの郊外に住む彼の家にもお邪魔した。
彼は自宅に白クマを飼っている。
いや、アメリカ種の秋田犬である。
とにかく特別デカい!!
ペットショップで買った時は、小さな小さな子犬だったそうな・・・。
「ウィンター・スノウ」のように真っ白だった。
もともと日本の犬なので、奥さんと相談して、日本語の名前を付けようということになったそうだ。
そこで、蘭和辞典だか英和辞典だかで調べたらしい。
「ウィンター」は「Fuyu」
「スノウ」は「Yuki」
そして付いた名前が、「Fuyuyuki」となったのだ。
お宅にお邪魔したついでに、紙に大きく「冬雪」と漢字で書いてあげた。
彼らにとっては興味深々。
たった二文字の漢字も、大きな国際交流が出来るもんなんですね・・・。
きっとまだ彼の家の壁に貼ってあることでしょう。
今日は日本ポピュラー音楽界の大御所、雪村いづみさん。
我が家の初テレビは昭和34年、NHKに勤務しテレビ技術を担当していた父親が、自分で作ったテレビであった。
NHK長崎の開局にともない転勤となり、家族共々九州に移り住んだ。
NHKと民放と2チャンネルしかないテレビは朝晩だけの放送。
娯楽番組は夜しかない。
そんな時代にすでに大スターであった雪村いづみさんは、言うまでもなく元祖三人娘の一人である。
あとの二人は美空ひばりさん江利チエミさん、すでに天国にお住まい。
1999年、我が楽団ファイヴ・ペニーズ・オーケストラと雪村さんとの共演が実現した。
映画音楽のコンサートである。
彼女自身65本の映画に出演。
映画スターとしてシンガーとして輝かしい業績を日本の文化史に刻んでいる。
当コンサートでも46年間におよぶ芸能生活を振り返って熱く語る場面があったが、長い芸歴が信じられない程チャーミングであった。
かつてこんなことがあった。
前田憲男、猪俣猛、荒川康男の名トリオに雪村さんが加わったコンサートを企画したことがある。
彼女は数々のヒット曲をもつが、その中の「約束」を歌った。
語るように情感のこもった歌は多くの聴衆の涙腺をゆるませた。
仕事中の私も思わずホロリ…。
これが「歌」である。
ああ、音楽って素晴らしい。
大晦日には紅白歌合戦を楽しみにしていた父親、テレビの中の雪村さんを見ながらこんなことを言った。
「この人が出てくると舞台が大きく見えるね。」
一緒にテレビを見ている私には何のことやらよく分からないでいたが、雪村さんが出演していた場面と父親の一言は鮮明に覚えている。
大きな舞台に立った時、限りなくその人の存在感が広がる様子を言った言葉だったのだ。
先の本番中、舞台袖にいた私の脳裏をかすめた父親の一言、目の前で実感することが出来た。
その空間は隅々まで雪村いづみの世界となったのだ。
切ない歌も心踊る歌も表現力があってこそ感動するもので、彼女は1曲目が始まるやいなや聴衆を釘付け。
「お客様の拍手を浴びている時が『至福の時』であって、私達音楽をやる者がこれに命をかけなくて何にかけるの?」とあっさり言う彼女、キャリアなのだろうか、重みのある言葉である。
「長年やってると、自慢できることは年ぐらいかなあ」などと冗談も飛ばす。
舞台裏でも楽屋でも、いつもユーモアたっぷりに人を笑わせるのがお得意の素敵な人である。
ゆったりと時を過ごしているのだろうか、気取らない、驕らない、こだわらない、おおらかな人柄が共演者にも慕われる。
コンサート会場には長年のファンも大勢詰めかけていたが、ファンにとってもそんな雪村さんが大好きに違いない。
とても気持ちのいい楽しいコンサートであった。
きらきらと輝くお茶目な瞳は昔と変わらない。
小学生の頃テレビで見ていた印象と同じである。
子供の頃、「スター」という言葉は「雪村いづみ」を連想した。
もちろん江利チエミも美空ひばりも輝いていた。
三人三様の個性、歌も歌えば演技もする、まさにマルチタレントの元祖であるかもしれないが、そのレヴェルも並でなかったことは確かである。
最近のアイドルとは格段の差が…。
この話題は、「三人娘今昔物語」を語る時、テレビ番組の中でも必ず誰かが発言しているほどである。
「三人娘」の看板を今は一人で背負っているが、いつまでも元気に活躍してほしい。
今日は世界で活躍する日本人歌手、レイ・ウノスケさん。
♪"When they begin the beguine."
これはコール・ポーターの名曲「ビギン・ザ・ビギン」である。
世界中どこにいて何をしていようが、このメロディーが聞こえて来ると必ず脳裏に浮かぶのは、レイ・ウノスケさんの歌声である。
「ドレミソーミレミー」と、シンプルな旋律だが、低く響く甘い歌声で情感を込めて歌われると、曲の出だしだけでも「ゾクゾクッ」とするご婦人方も多い筈だ。
ブラウン管に登場することは少ないが、声の良さと歌の上手さは天下一品。
本物のシンガーである。
「レイ」はポルトガル語で「王様」の意味。
ラテン音楽、ムード音楽、映画音楽の「帝王」に相応しい。
17歳でブラジルに渡り、コーヒー園の仕事を経て、アルゼンチンへ。
オペラ歌手のもとでクラシックの発声を学び、方やアルゼンチン・タンゴの勉強も・・・。
南米でのTV出演を機に、一気にスターダムへ。
ペルー、メキシコ、ラスヴェガス、ロサンジェルス、ニューヨーク、マイアミ、ハワイでのショーを駆け巡るエンターテイナーとなった。
私が初めて彼に出会ったのは1994年の新年。
彼が、長年の海外生活に区切りをつけ帰国間もない頃だった。
「ジャパン・ジャスト・ジャズ・オールスターズ」のニューヨーク公演のヴォーカリストとして、前田憲男さんの推薦によりメンバーの一員となった。
サントリー・ホールでの壮行演奏会、ニューヨークのアポロ劇場やカーネギー・ホールを沸かせた一人である。
コンサート運営を担当する私は、カーネギーの舞台裏で仕事中に一瞬我を忘れ、聞き入ってしまったことを白状しておこう。
その時のニューヨークは嬉しい思い出がある。ツアー出発前に起こったビザ問題、公演直前までアメリカ移民局やアメリカ大使館とのやりとりで翻弄し疲労困憊の時、優しく(?)声を掛け、激励して下さったのはウノスケさんの奥さんであった。
「西田君! あなたがやらなくて他の誰が出来るの?!!!!」という奥様の𠮟咤に奮起したのだった。
出演者やスタッフにとっても感動のニューヨーク公演は、こうした方々に支えられて大成功となったのである。
流暢な英語の小林克也さんの司会、バンドのメンバーも一流のジャズ・メン、ゲストにはヘレン・メリル。
カーネギーの舞台にタキシードが似合う男たちがズラリ、あの光景とアポロ劇場での熱狂ぶりは今でもよく思い出す。
ウノスケさんだけではなく、参加した音楽家の皆さんと共有できた達成感が、今の私を支えていることは言うまでもない。
後に、彼のクリスマス・ディナー・ショーにお誘いを受け、お伺いをした。
いらしている方々は、(SP付きの)政界財界のお歴々やTVでもお馴染みの俳優さんや文化人、スポーツ選手、キャスターの方々が大勢。
他にも、音楽をこよなく愛し、本物の音楽の楽しみ方をご存知の方々ばかりで、同じテーブルの方々ともお話しても話が弾む。
「ウノスケさんのディナー・ショーには毎回欠かさず・・・」とおっしゃる方や、「ニューヨークやラスヴェガスでも聞いたことがある・・・」とおっしゃる方も。
500人位の方がクリスマスの一夜を楽しんでいた。
ゆったりした気分で、美味しい食事と飲み物、そして陶酔郷へと誘う歌声。
やっぱり本物は最高!!


