吹奏楽に関わるようになって早や40年。
いや、もっとだ。
(話せば長いので敢えて触れないが)入学した高校に水泳部が無いばっかりに、行きがかりで吹奏楽部に入ってしまった。
でも、ここから私の吹奏楽人生は出発した。
この40余年の間に出逢った音楽家は数知れず、自分の音楽観を形成する上で、どれだけ影響を与えてくれただろうか・・・。
この歳になって、「昔を大切にしたい」と思うようになったが、時折、記憶の彼方に薄らいでしまった思い出もある。
それで、遅まきながら、毎日毎日、一人ずつ思い出を改めて確認する意味で綴っている。
今日は誰かな・・・。
シンフォニーの第5番と書くと、ベートーヴェンを思い出す方々は少なくないでしょう。
シシンフォニーを5曲以上書いている人には当然第5番があるのだが・・・。
今日のお話は「運命」ではなく「さくら」と言うタイトルが付いた交響曲第5番を書いた作曲者のお話。
お馴染み、アルフレッド・リード氏の登場だ。
初来日の時にお会いして以来、何十回お会いしたでしょうか。
ある時は山手線でばったり。
スーツケースを牽いてお一人で移動することも・・・。
私の番組には随分御協力頂きましたし、思い出をたくさん作って頂きました。
写真は可愛らしい奥様を真ん中にして。
名作は数々。
永遠の吹奏楽スタンダードになりますね。
古くから日本の吹奏楽界には馴染みがある。
日本の吹奏楽コンクールの課題曲としても、「シンフォニック・プレリュード」や「音楽祭のプレリュード」が採用されている。
「アルメニアン・ダンス」などが代表作として知られているが、「春の猟犬」も根強い。
スクールバンドの定演が3月に行われることが多いので、春の演奏会には相応しい曲として人気がある。
名作の多い作曲家だが2006年惜しまれて他界した。
来日が多いリード夫妻とは度々お会いする機会があり、いつも「バンドワゴンはまだ続いているかい? いつまでも続けてね。」と励ましてくれた。
お陰様で私の吹奏楽の番組も16年になる。
長いようで短かったが、多くの人々に支えられて続けてくることが出来た。
まだまだ頑張るぞ!
番組は日曜の午前0時~1時(土曜の24時~25時)です。
「それでは、また来週! ご案内は西田裕でした。」
今日は、吹奏楽界ではお馴染みのヤン。
先ずは、彼の自己紹介から・・・。
「私はヤン・ファン・デル・ローストです。本名はヤン・フランス・ヨーゼフ・ファン・デル・ローストです。 日本ではヤン・ヴァン・デル・ローストと呼ばれています。いくら言っても直してくれないんです。ひどい人は、ロースト、ローストと言って、苗字の下半分しか呼んでくれません。名前はヤン。苗字はファン・デル・ローストです。楽譜にはミドル・ネームは入れてません。」
と言う訳で、皆さん、彼の名前を呼ぶ(読む)時には注意しましょう。
彼と出会ったのは、かれこれ15年前でしょうか・・・。
映画俳優張りの端正な顔つきは、性別を越えて憧れを持つ存在でした。
親しみやすい作品が、一層彼の人気を高めたに違いありません。
私の番組でも、盛んに取り上げたこともありました。
彼も私の番組には非常に関心を持ってくれて、
「まだ続いてる? 今度はこのCDを紹介してくれないか・・・。」と言って提供してくれます。
一番、我が番組を応援してくれる一人であることは間違いありません。
彼はベルギーのアントワープに住んでいます。
ヨーロッパを縦断するシュケルデ川が流れるため、昔からダイヤモンドの取引で栄えた貿易主要都市でした。ルーベンスなどの芸術家が活躍したり、チェンバロを中心とする楽器製造の街でもありました。
歴史をさかのぼると、今から 二千年以上前のこと。
シュケルデ川沿いの要塞に、アンティゴーンDruon Antigoonという巨人がいました。
シュケルデ川をまたいで立てる程の巨人で、シュケルデ川を通る船が股の下を通る時に重い税を課していて、もし、税を払わない船がいると、その船の船長の手を、手首から切り取って捨てていました。
紀元前57年頃、ジュリアス・シーザーは北ヨーロッパへ遠征に来ていましたが、ローマ軍を率いていたローマの勇士で、ジュリアス・シーザーの甥である、シルヴィウス・ブラボー Silvius Braboがその話を聞き、
アンティゴーン征伐にやって来ます。
数時間の格闘の後、アンティゴーンを倒したブラボーは、巨人の首と右手とを切り取り、右手をシュケルデ川へと投げ捨てました。
それ以来、この町はhant(手)+ werpen(投げ捨てる)=(h)antwerpenと呼ばれる様になりました。
そして、ブラボーによってアンティゴーンの圧制から開放された地域が
彼の名前を取って、「ブラバントBrabant地方」と呼ばれるようになりました。
そして健全な通商都市に生まれ変わり、歴史的な風情をのこしたまま現在に至ってます。
ヤンもそのような環境で育った音楽家です。
今では、教え子のアペルモントや広瀬さんらが、作曲界で活躍しています。
次の作品が楽しみですね。
今日の日記、一部、歴史的資料から転載しました。
今日はオランダの作曲家であり、指揮者でもあるハーディー・マートゥン氏。
会うといつも気軽に挨拶をしてくれる。
「新しいCD作ったんだ。サインもしとくから番組で使ってよ!」
こんな感じだ。
(べつにサインは要らないって・・・。そんな太いマジックでジャケットの裏に書いたら、ライナーノーツ読めなくなっちゃうよ・・・)
人間性は分かりやすいが結構難しい曲を書く人だ。
モダニズムだったり、ジャズ・エッセンスがふんだんにあったり・・・。
量産ペースはかなり速い。
既に有名ではあるが、これからも彼の作品には目が離せない。
私の仕事柄、ラジオと言うのは曲名や作曲者名を声に出して紹介しなければならないので、皆さんにお会いすると必ず名前の読み方を2~3度確認して覚えるようにしています。
特にベネルクス地方、北欧、東欧はクセものです。
カタカナの表記には非常に難しいものがありますが、「マートゥン」は、御本人の発音では、これが一番近いと思います。
日本で彼は、何と何と「メルテンス」と呼ばれているのです。
これじゃ全く別人ですよね。
日本ではローマ字読みや英語読みで通してしまうので困ったことも起こります。
(誰が最初にカタカナになおすのでしょうか・・・)
今さら、「ヴァン」ではなくて「ファン・デル・ロースト」にはなりませんよね。
イギリス、いやいや海外では「ホルスト」も通じません。
特にベルギーは小さい国なのに、同じ綴りでも北と東と南では読み方が変わります。
ベルギーの人も出身地を聞かないと分からないそうです。
(ベルギー大使館員のコメントです。)
直接マートゥン氏に名前の読み方を確認した時に、今の日本の音楽界は作曲者名や曲のタイトルなどの、間違った読み方や訳し方(邦題)が横行していると実感した次第。
だから、ある意味、彼に感謝です。
名前の間違った読み方や、間違った邦題が世間に広まったら、作曲者に対しても失礼な話だし、曲のタイトルに至っては、曲のイメージ作りにまで影響したり、またかえって理解困難になったり。
邦題を勝手に作る前に、少なくとも現存の作曲家には、タイトルに込めた思いや背景を確かめる方がいいと思います。
一番馴染みがある筈の外国語、英語のタイトルでさえ、意味を取り違えたり、複数を表す「s」を見落としたがために全く違う題名になったり、
中には綴りの違いに気がつかなかったり、生活習慣や宗教が違う事で欧米では当たり前の認識が曲解されてみたりと、これらの間違いはあとを絶ちません。
近々に某作曲家が「White Light」という曲を出版すると思います。
簡単な単語ほど要注意ですよ。
決して「白い光」ではありません。
皆さんだったら、どんな邦題を付けますか?
間違えるよりも「ホワイト・ライト」(発音は“ワイ・ライト”と聞こえるかもしれませんが)を選択するのも一つですね。
意味は分からないままですが・・・。
出版が確定したら、作曲家がタイトルに込めた思いをお話することに致しましょう。
マートゥンの話から横道に逸れてしまいましたが、彼との出会いが、こんな話をするきっかけにもなったのだと思っています。
追記:サッカー界では読み方がちゃんと出来ているようです。
オランダのチームには、何人か「ファン・デル・~~~」がいましたね。きっとベルギーにもいる筈です。
スペインにも、「セヴィージャ」のチームの人がいます。
この「セヴィージャ」、日本音楽界では「セビリアの理髪師」なんて言われるように、現地の地名もへったくれもありません。
最後にお詫び
私がラジオ番組に携わってから16年になりますが、今まで、何度も作曲者や演奏者の名前、タイトル(邦題)を間違えてご案内してしまいました。
それは正しい読み方や、誤った邦題であることを知らなかったからです。
リスナーに対しても、作曲者や演奏者に対しても、本当に申し訳なく思っています。
でも後にご本人に出逢った時に、出来る限り、名前の読み方や、タイトルの意味などを確かめるようにしています。
一つ一つの積み重ねですが、少しでも正確にご案内しようと、今後も努力して参ります。


