March Kingの「音楽徒然草」

今日は、ジェームズ・スウェアリンジェン氏。


 吹奏楽経験者のほとんどがお世話になったに違いない。
狂詩曲「ノヴェナ」のヒット以来、「インヴィクタ」、「コヴィントン」、「マジェスティア」、「センチュリア」、「ロマネスク」・・・。
枚挙に暇がない程売れに売れた人気作曲家である。
ミッドウェスト・バンド・クリニックでは毎年彼に会う。
我が番組を応援してくれている一人でもある。

 今年63歳、ヒット曲はまだまだ続くだろう。
吹奏楽教育が盛んなアメリカや日本では彼の作品を避けては通れないかもしれない。
「作風がどれも似ている・・・」と言う人も多いが、ビギナーのバンドにとっては、むしろ解り易い構成の方が良い。
ある程度上手なバンドになると、ほとんど取り上げないようだが、上手なバンド程一度やってみるといいと思う。
アンサンブルの基礎力がよく判るからだ。
懐かしさが手伝っていると思うが、我が番組に寄せられるリクエストのベスト10には必ず入っている。

 そして彼が日本びいきであることは言うまでもない。
そろそろスクールバンドのコンクール・シーズンだが、プログラムから彼の名前が無くなることはない。


March Kingの「音楽徒然草」

今日はお馴染み中のお馴染み、ジェームズ・バーンズ氏。

 フルネームは、ジェームズ・チャールズ・バーンズ。
全部「S」で終わり、全て「ズ」と発音するのが正しい!
私も「ジェームス」と言う習慣がついてしまってなかなか直せないで困っている。
だから「ジミー」と呼ぶことにした。
もし皆さんに、「演奏した事がある彼の作品は?」と質問したら、返って来る答えによって、いつ頃吹奏楽をやっていたかが分かりそうですね。
「アルヴァマー」?
「アパラチアン」?
「ラプソディック~」?
「パガニーニの~」?
「交響曲第3番」? 

 「リロイ・アンダースン・ポートレイト」なんて素敵なアレンジもある。

 1949年生まれの彼はまさに現代を共に生きる吹奏楽の作曲家だ。
アメリカ吹奏楽界の主要人物の一人である。
日本では特に人気があり、来日回数の多い作曲家でもある。
でも、いつも彼と会うのは、日本ではなくシカゴ。
ミッドウェスト・バンド・クリニックの会場だが、彼は常に誰かと立ち話をしていて、割り込まない限り、なかなか話をするチャンスが無い。
まあ、それだけ彼と話をしたい人が多い訳だ。
でもそんな時でも、横目でこっちを見て笑顔を見せてくれる。

 とても真面目な人だが、一たび話を始めれば、気さくなオジサンである。
これからもまだまだ沢山の名作を生み出すことだろう。


March Kingの「音楽徒然草」

今日はヤン・デ・ハーン。

 オランダの作曲家、指揮者。
吹奏楽曲、ブラスバンド曲の作曲と編曲は数々。
自分で楽譜やCDの出版社を作っちゃったんですね。
3人で始まった会社が10数年の内に、何と社員は150名。
もちろん彼が社長でした。
でも、現在はアメリカのハルレナードの傘下に入り、本人曰く、「普通の人に戻っちゃった。」

 私も5年前にこの会社を訪問しましたが、広々としたスペースの明るい部屋。
スタッフがゆとりをもって仕事してました。
我が番組を支援(CD提供)してくれています。
CDや楽譜は世界100カ国以上に輸出しているそうです。
吹奏楽関係者にはお馴染みの出版社、デ・ハスケです!
訪問した時の感想。
「こんなところで働いてみたいな・・・」

 作曲家がスコアを送って来たら、間違いを直したり、疑問を解決したり、グレードを点検して、パート譜を作って、価格を決めて、表紙をデザインして、印刷をして、楽譜のセットを作って、カタログに載せて、梱包して、発送して、あるいはショールームに展示して、方や、プロのバンドを使ってレコーディング・チームが録音して、デモ演奏を兼ねたCDを作って、販売する。
部屋がこの行程順に並んでいて。
見学するには大変分かりやすかったんです。
もちろん仕事がやりやすいようにこの順になっているのですが。
毎朝9時に会社の入口が開く。
夕方4時40分には動いている機械の電源を切る。
殆どの社員がラウンジに集まってコーヒー飲みながら、違うセクションの人達とも仕事の話やプライヴェートの話を個々にしています(これって凄く大事ですよね)。
5時になると皆退社。
社員は市民バンドに入っている人も多く、帰宅して夕飯を食べて、8時から10時までの練習に、週2回通う。
土日は家族サーヴィスか本番。
これならきっと皆一生懸命働くし、趣味の音楽が仕事にも充分反映される。
本当に羨ましいと思いました。
その日は、「日本のラジオ番組の人が訪問します」と、社員全員に伝わっていて、皆さんが歓迎してくれました。
嬉しかったです。

 とっても気遣いのあるヤンさんでした。