ご存知の方も多いとは思うが、私はしましまが大好きだ。
それも、かなりのしましま好きだ。
だから、店のセレクトも自然としましまが数多く並ぶ。
自宅には、しましまだけの衣装ラックがあり、
数えた事はないが、100種類以上のしましまが備蓄されている。
もちろん、緊急災害時用しましまではない。

妻も含め、世の中にはまだ、しましまの深い魅力に気が付いていない
可哀想な人々が数多く存在しているように思う。
今日はそんな可哀想な人々へ、かのマリアナ海峡よりも深いという
「しましま」の世界を少しだけ綴りたいと考えている。
これでもう「また、しましまなの!?」とは絶対に言わせはしない。

しかし、ここで綴るしましま世界は常に私の独断と偏見に満ちた
しましま見解になっているので話半分で読んでほしい。

まず最初にしましまを綴る上で認識しなければならないのは、
すべてのしましまが「イケてるしましま」だという訳ではないということ。
やはり「しましま」の世界も人間社会に似て
「イケてるしましま」「残念しましま」が存在するようだ。

「イケてるしましま」と「残念しましま」。
まるで光と影、太陽と月のように、いつの時代も背中合わせの存在だ。
その最大の違いはなんと言っても、そこから受ける情景感の違いだろう。

本来、ヨーロッパ諸国に於けるしましまとは海と空の境目、
つまり海平線を抽象パターン化した柄と言われている。
「しましま」が産まれた18世紀中期、世界は大航海時代だった。
貿易の拠点は港町、つまり海のそばだ。
様々な文化が行きかうそこは正に大都会であった。
海のイメージを持つ「しましま」が都会的で垢抜けて見えるのは
そんな大都会で生まれ、そして洗練されたからだと私は推察している。

いつの時代も、人々は煌びやかな大都会の生活にあこがれるもの。
そのあこがれが残念ながら、大都会しましまのフェイクとも言える
「残念しましま」を産み出したことは想像に難くない。
「残念しましま」には決定的なまでに情景的なイメージが無い。
どういうわけか、なにも連想させない上、少しも垢抜けない。
ただ、ただ、田舎臭いのだ。

しかし、だからと言ってすべての垢抜けていない「しましま」を
「残念しましま」に認定するほど、私は浅はかではないということもここに記しておこう。

フランスの小粋な「お洒落しましま」
ロシアの厳しい大地が産んだ「雪原しましま」
スウェーデンのモダンな「パステルしましま」
イギリスのカウンターカルチャーが産んだ攻撃的な「パンクしましま」
アフリカ、マサイ族の誇り高き「赤きしましま」

世界には素晴らしい情景を持つ「しましま」が数多く存在する!
なかでも、フランスとスェーデンのしましまは超一級品として有名である。

「たかが、しましま。 されど、しましま。 でもやっぱりママが好き。」
この10年、そんな言葉が私の脳裏へ浮かび続ける・・・・・・・
これは名言っぽいので、是非メモっておいてもよかろう。
その際に後半部一行をカットするのをお忘れなきよう。

なにはともあれ、100年以上もの永い歳月、
良いイメージを保ち続け、また愛され続けた「しましま」は
柄の世界のベスト・セラーと呼ぶに相応しいのではないだろうか。

どうだろう、少しは「しましま」の世界に興味を持って頂けただろうか。
もし、興味を持てなかったのであれば、それは残念しましまだ。
しかし、もし興味が湧いたのであれば、それは素晴らしいこと。

そんなあなたへ、この言葉を贈ろう!
「よく来たな、しましま野朗!」

ちなみに、ラマルではそんな愛のある厳しい目線で選ばれた
エリートしましまのみがセレクトされている。
是非、お立ち寄り、ご購入頂ければ幸いだ。

よろしくしましま。