松ちゃんのコント番組、
を観る、
録画したら、ちらつきが入りやがった、いまだにVHS録画なんだよ、、、
ぼくは、松ちゃんを天才と、すこしもおもわん、
よって、天賦の才をもった孤高の人、松ちゃん、凡夫、浜ちゃん、
という、世に流布した構図にも疑問が、
むしろ、ズボラな浜ちゃんに対する、松ちゃんの片想い、というかんじか、
松ちゃんが、浜ちゃんと一緒にいるときの一挙一動をつぶさに観察していると、絶えずかんがえ、絶えず発信していなければ自分を保つことができない自分に対して、ただいるだけで、ただそこにいるだけで「浜田雅功」を体現しうる、このふてぶてしい男はいったいなんだ、魅力的であり腹立たしくもある、ってなアムビヴァレンツの苦みを奥歯でかみしめているのが、ありありと、わかるな、浜ちゃんも、松ちゃんの閃きに、刹那的に、ジェラシーを覚えることがあっても、鬱屈、鬱勃、なんてこととは無縁だからな、しかし、そういう人間にこそ、腫れものに触れるような、ホントの、デリカシーが、潜んでるんじゃないかなあ、とおもわせる、どこかコワいような、そういう横貌を、松ちゃんは浜ちゃんにみているとおもう、浜ちゃんには、そういう、まなざし、みたいなもの、そんなもなぁないんだ、松ちゃんは、そういう浜ちゃんに、なんでだ、なぜ「まなざし」なくして存在しうるんだお前は、、、という、よう、に、日夜、、、ね、
かんがえなくては生きられない人間が、かんがえるより先にカラダが動く人間にかんずるインフェリオリティー・コンプレックスってのは、生半可でないんだな、そういう視点からふたりの関係をみると、とにかく、松ちゃんの方が、一方的に、その距離感みたいなものをイヤに気にしている、という風にみえて、天翔ける松ちゃんと地べたを這う浜ちゃん、という、の、は、いかにも短絡的なものの見方、とおもう、そういう風にあのふたりをみられる人が、不思議でしようがない、どういう感性してるんだ、いったい、、、
や、浜ちゃんはたしかに地べたの人だろうが、問題は、彼が、そこを這い蹲うことなく、むしろ大手を振って、我が物顔で歩いていられる、そういう豪放磊落なる気質の持ち主ということだ、で、松ちゃんとしちゃ、えええ、地べたの人なのに、そんなに横柄なんだ、、、そんなに天下取っちゃったような面構えしちゃうんだ、じゃ、一所懸命、飛翔しようともがいてるオレっていったい、そのふたりがコンビを組むことで、松ちゃんの稟性に、なにかしら屈折が起こっているようにおもう、そこが面白いところで、その屈折も浜田のおかげ、、、じょ、冗談じゃない、あんなデリカシーのカケラもないヤツ、、、と、また、アムビヴァレンツの無間回廊を堂々廻り、そんなところじゃないかなあ、浜田雅功というひとの傍若無人な無神経さは、すなわち、ぼくらがテレビ画面に観る松本人志、その虚像が結するうえで欠くべからざる、屈折率、そのもの、という、こと、かな、で、浜ちゃんは、べつに、そんなものを松ちゃんに「与えてやろう」なんて、これっぽっちもおもってやしない、そこがまた、松ちゃんにとっちゃ苛立たしいことで、と延々つづく、、、
だから、きょうのコント番組でも、松ちゃん、けっして水を得た魚、という面貌でなかった、
そこが、なんともいえず、愛おしかったが、
ここんところ、で、このブログに書いた音盤、を、iPhoneでまとめて聴き直してみた、
やはりどれもいい、ひとくちにいえば、非常に高度なイミにおいて過不足のない音盤、ということ、多少とも不足を感ずる個所があるにせよ、そこを補えば、もとの長所が薄らぐだろう、というような、
演奏に長所をもたせようとすれば、相反する要素を犠牲にしなくてはならない、ある均衡に達するために、もっともスリリングな予断の粛清をやらかした、、、結果、ミョーに静かな境地を垣間見せてくれる音盤、の、誕生、そういう、稀少な音楽再現の記録を手にしているという実感、、、得難いもんだ、じつに、
ドラクエの吹奏楽CD、いずれ詳しく書くが、上岡敏之のコンサートが目前に迫っていることもあり、ちょっと緊張しており、うまく文面をまとめられない、ひとつ云えるのは、すぎやまが、指揮者として、なにもしていないということ、役に立っていないというイミじゃなく、恣意的な表情をいささかもつけていないということで、かんがえてもみれば、31年生まれ、来年には80歳になられるわけだ、川柳川柳師と同い年かあ、そういや、朝比奈隆も最晩年はなにもしなかったなあ、大阪フィルとベートーヴェンの7番を演るのをテレビで観たことがあって、さいきんDVDになったんだとおもったが、フィナーレなんぞ、一点見据えてくるくる腕を回してるだけなんだもんなあ、あの熱狂の音楽をだよ、、、ま、すぎやま氏のはそれとはまた性質が違うんだが、いずれにせよ、クラシックにずっと触れてると、音楽を聴いているのか、指揮者の意図を読んでるのか判然しなくなって、ときたま我に返ると、冷や汗、なんてことも、くわしくなればなるほどかえって音楽を見失ってるおそれも、、、? ってなことを、ふと、かんがえさせるほど、このCD、とにかく、指揮者が主導で音楽を「造った」っていうカンジが、いっさい、しない、ただただ音楽が聴こえる、
くわしいこたぁ、とにかく、上岡の公演が終わってから、